紳助引退快哉から暗雲?
西日本新聞 2011. 8.24
 西日本新聞 2011. 8.24(夕)
 西日本新聞 2011. 8.25 社説
 産経ニュース テレビ局の責任は大きい 麻生千晶さん 2011.8.25 11:41

 23日夜に突然の引退会見を行ったタレントの島田紳助さん(55)。トップスターとして多くの番組を仕切る華やかな活動の一方で、暴力団との交際という“闇”を抱えていたことも明らかになった。
 作家の麻生千晶さんに、今回の引退騒動と、島田さんが活躍したテレビ界の現状をどうみるかを聞いた。
 そもそもテレビ局は免許事業で、ジャーナリズムの一翼も担う社会の木鐸(ぼくたく)の一つ。番組、出演者とも品位と責任が求められる。中でも司会者は社会人代表であるべきなのに、島田紳助の場合は“突っ込み”と称する「いじり」と「いじめ」を繰り返していた。  
 しかし現在のテレビ界は、彼のような下品な発言で人間の卑しい欲望に応える存在に「視聴率が取れるから」と大金を積んできた。しかも“大司会者”として、番組プロデューサーのように出演者やスタッフの選定までしていたと聞く。  
 芸能界の大権力者になってしまい、番組で人の顔の造作や体型についてまであれこれ言うなど、全く見苦しかった。しかしテレビ局はたしなめるどころか、ひれ伏してきた。  
 そんな彼の手法を真似(まね)する子供も増えたと聞く。それだけ影響力があった訳で今回、いかがわしい人間の黒い交際が分かったのだから、(反面教師として)教育材料にしたらいいのではないか。  
 テレビ局は、暴力団がらみの不祥事が起きると偉そうに糾弾するが、そんな彼を雇ってきた局側の責任は大きい。彼が女性マネジャーへの傷害事件を起こした後も、各局対応は甘かった。なぜ彼のような人間を使い続けてきたのか、テレビ局に問いたい。  
 背景には、テレビ局に対する吉本興業の巨大な力がある。彼はその頂点の地位にあった。番組に若手芸人をタダみたいなギャラで出す一方、彼には高い出演料を払わせ、収支を合わせる。  
 だからどの番組を見ても関西弁があふれ、彼が司会をする同じような番組ばかりになった。まるで「金太郎飴(あめ)」のようだ。レギュラー番組では「開運!なんでも鑑定団」がまっとうだったが、あれも石坂浩二という“緩衝地帯”があったから、視聴者も安心して見られたと思う。  
 今回の引退も、詰め腹を切らされたというより、もう十分稼いで面倒くさくなったのだろう。これで多少、テレビ界の風通しがよくなるのではないか。テレビ局はまっとうに芸で勝負する人間を使うべきだ。

“快哉”がもっともこのニュースにふさわしい言葉であろうが、麻生千晶ははたして紳助が「引退」という、つまり力を及ぼしえない立場になる前からここで述べているような内容を公にしてきていたのであろうか?
あるいは言葉にしていたものをメディアが公にできなかったのであろうか?
猫の首に鈴をつけるのは難しい。
本来は、「黒い関係」があろうとなかろうと、使うべきキャラクターではなかったのに視聴率にのみ気がいって、阿ってしまっていたのでもあるが、本人は横山やすしと比肩できるとでも勘違いしていたのか。
西日本新聞 2011. 8.26

この「春秋」にしてもしかりで、死んで(業界から引退して)からしか真っ当に批判できない腰の引けかたはどうだ。
「黒い関係」を攻撃の頼みの綱としてのみ糾弾しうるというのは、発言者も同じ穴の狢である以上所詮しかたないことか。
たけしじゃないが「嫌いなら見なけりゃいい」ではTVは通らないのは、上・麻生千晶文中にあるように「ジャーナリズムの一翼も担う社会の木鐸(ぼくたく)の一つ」であるのなら明らかなことであるが。

以前の謹慎も茶番に等しいものであったことから今回の“引退”云々も、このような恥をも知らぬ行動が予測され、 巷間取りざたされてもいたことだが、これほどあきれる早さで悪い予感を的中させる“厚顔”がいようとは。
 西日本新聞 2012. 1. 7(夕)
最後に、やくみつる(ちょっと知識人ぶったマンガ屋というスタンスであれこれ首を突っ込み、したり顔のコメントが小ウルサイ)コメント中の「わしゃ復帰する気はないでえ」など、 洒落や粋などひとかけらも持ち合わせていない紳助の口から発せられないことくらい分かりそうなものに。


− 荒牧 千e Aramaki Kazuhide −
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