西日本新聞 2014.10.24
上の記事中の写真は、赤坂エクセルホテル東急辺りの上空からニュー・オータニへカメラを振っていると思われるが、竣工間近あるいは間際と思しきニュー・オータニこそ、ユニットバスなるものが世界に先駆け、TOTOが試作し鹿島建設が工期短縮の切り札として採用・設置されたものと記憶する。
もちろん、ニュー・オータニのタワーも未だない。タワー開業当時、フロントは本館のみにあり、おそらく100m以上歩き、さらにそこからエレヴェーターで自室へ向かい、外出時には逆のコースを辿って、キーを預けていた記憶がある(後にはキー持参で外出した)。
また、ニュー・オータニの地下駐車場は、75年頃まで守衛の誘導のみのフリーパスで駐車可能であった(街の混雑は当時も酷かったので、道路と比較したここの駐車場のキャパシティに大きなアドヴァンテージがあったのだろう)。
73年5月の連休に車で東京を訪れた際には、まずタダのここに車を入れ、駐車場のない安価な芝のホテルに3泊するという、今では夢のような非日常を味わった。

− 荒牧 千e Aramaki Kazuhide −
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