http://beijing2008.nikkansports.com/athletics/
f-sp-tp0-20080824-400878.html

http://www.sanspo.com/beijing2008/news/
080824/oac0808242154016-n1.htm

ワンジルがトヨタ退社、今後も日本拠点
北京五輪男子マラソンで金メダルを獲得したサムエル・ワンジル(21=ケニア)は24日、所属するトヨタ自動車九州を退社したと表明し、今後も日本を拠点に競技を続ける意向を明らかにした。
ワンジルは「駅伝中心の練習スタイルは合わないので、これからは(マラソン中心に)自分でやりたい。駅伝がないところでやりたい。所属先はまだ決まっていない」などとレース後に語った。(共同)

http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2008082400146
ワンジル、再び日本拠点の意向=トヨタ九州退社し移籍希望
【北京24日時事】24日の北京五輪男子マラソンで金メダルを獲得したサムエル・ワンジル(21)=ケニア=はレース後、所属するトヨタ自動車九州を退社し、再び日本を拠点に競技を続ける意向を明らかにした。
「これからは(マラソンを中心に)自分でやりたい。駅伝がないところでやりたい」と語った。
関係者によると、弁護士を通じ6月に内容証明郵便で退職届を出している。
これに対し、同社経営管理部秘書・広報グループは「会社を替ったという認識はしていない。北京五輪前で本人に負担を掛けたくなかったから連絡はしなかった。本人が来日したら速やかに解決したい」と説明した。
ワンジルは北京五輪後、ケニアに戻り、9月上旬に再来日する予定。
ワンジルは2002年に来日し、仙台育英高に留学。卒業後は同社入りしたが、企業の陸上部で大きな比重を占める駅伝が、マラソンなどの個人種目を続ける上で負担になっていた。
また、実業団には、外国人選手の日本滞在日数が特定の期間で180日以上なければならないといった規約がある。勤務実態なども精査され、これらをクリアするため海外の大会出場も制限されていた。

http://beijing.yahoo.co.jp/news/detail/20080824-00000073-jij-spo
森下監督に捧げる金メダル=日本の心でワンジル栄冠-男子マラソン
夏の42.195キロを走ってきたとは思えない。観衆に手を振る勝者は、日本で力を付けたワンジルだった。トラックに正座するようにして十字を切り、手のひらを合わせた。
「すごいこと。国に帰り大統領に会うことになった」。流ちょうな日本語が上ずる。長距離王国ケニアにとって、マラソンでは男女を通じて初の五輪金メダルだった。
最初の5キロが15分を切った。速い流れの中で暑さを気にしないアフリカ勢が揺さぶり合い、集団は小さくなっていく。
「僕はスプリント力がない。だから長いスパートをかけた」と36キロすぎに3人の中から抜け出した。2時間6分32秒。わずか3度目のマラソンで五輪新を出した。
スパートの1キロ前で給水に失敗。エチオピアのメルガがボトルを手渡してくれた。昨年12月の福岡国際を制した時の2位が、このライバル。「福岡で友達になった。あそこで水を飲んでいなければ、きつかった」と感謝した。
15歳で来日。仙台育英高の留学生は全国高校駅伝で都大路を驚かせた。トヨタ自動車九州に入り、バルセロナ五輪銀メダルの森下広一監督と出会う。力は伸びた。
だが、駅伝が大きな比重を占める企業の陸上部では限界がある。「サム」と呼び、かわいがってくれた監督との決別を決めた。6月、弁護士を通じ退社届を内容証明郵便で送り、練習のためケニアへ。
監督は「おれは銀だった。サムには金を取ってもらいたい」と言って送り出した。日本で6年も暮らしてきたから、よく分かる。「森下さんにメダルを見せたい」と小声で言った。
来年9月のベルリンで世界記録に挑むと宣言し、「できれば3分台」と驚きのタイムを口にした。
2時間4分26秒の世界記録を持つエチオピアのゲブレシラシエは大気汚染を恐れ、北京の勝負を回避した。日本育ちの好青年が王権を奪う日が、来るのかもしれない。(北京時事)

http://www.jiji.com/jc/zc?k=200808/2008082400168&rel=j&g=spo
必ず勝つと思った=日本の恩師らも声援−ワンジル選手
24日の北京五輪男子マラソンで優勝したサムエル・ワンジル選手(ケニア)は宮城県の仙台育英高校とトヨタ自動車九州(福岡県宮若市)で力を付けた。日本でテレビ観戦した恩師らも、快挙を喜んだ。
高校時代の恩師、渡辺高夫陸上部総監督は仙台市内で「圧倒的な力で優勝できて大変うれしい」と笑顔。
「35キロ地点が一番きつかったと思うが、エチオピアの選手にスタミナを消耗させ、その間に相手に行くぞとサインを送っていたので、必ず勝つなと思った。我慢し、スタミナ配分をうまくやった」と分析した。
高校時代のワンジル選手は「身体能力が高く、地面をとらえる力、リズム感が素晴らしかった」という。人柄も「素直でチャレンジ精神旺盛。後輩を大切にするといった、日本人が忘れた心を持っている」とたたえた。
1992年バルセロナ五輪銀メダリストの森下広一トヨタ自動車九州監督は北海道で合宿中。会社を通じ「おめでとう。金メダルを取れると信じて応援していました。一緒に練習してきたわれわれは、今後の力になる勇気を与えてくれたと感謝しています」とのコメントを出した。

http://sports.nikkei.co.jp/beijing/news/AT.aspx?n=NN000Y499%2024082008
ワンジル、日本で学んだ「我慢」 亡き先輩に贈る金の輝き
「我慢、我慢。それができた。完ぺきです」。ゴール直後、日本語で喜びを表した。
24日、ケニアに男子マラソンで初の金メダルをもたらしたサムエル・ワンジル選手(21)。日本の高校に“陸上留学”し「我慢すること」を学んだ。一緒に練習し、兄のようだった亡き先輩に金の輝きをささげた。
ケニアでスカウトの目に留まり、15歳の時に仙台育英高校(仙台市)の留学生として来日。「1年の時はホームシックになった。日本語も大変だった。アニメ番組を見て勉強した」という。
陸上部の練習で渡辺高夫監督(61)から繰り返し言われたのは「きつくても我慢すること」だった。「ワンジルは朝早く練習に来て、きついことも進んでやった。自分に厳しく、苦しいと言ってきたことはなかった」と渡辺監督は振り返る。
慣れない日本でワンジル選手は、陸上部の先輩で同じケニア出身のサムエル・カビルさんを慕った。カビルさんは実業団チームに入り活躍したが2004年7月、病気のため21歳で亡くなった。
渡辺監督から伝えられた悲しい知らせ。ワンジル選手は大雨の中で立ち尽くし、ずっと泣いていた。そして監督に「おれは五輪に出る。カビルが出られなかったから、おれが出る」と誓った。
卒業後も日本で練習を続け、ケニアに戻るたび、自宅から約200キロ離れたカビル選手の墓に参る。渡辺監督は「ワンジルはカビルの死を背負って強くなった」。
6月、ワンジル選手から「北京で金メダルを取れなければ、走る意味がない」と聞かされた渡辺監督。レースの数日前、電話で「体調が万全なら、中盤は我慢、我慢。そうしたら最後に必ず飛び出すチャンスが出てくる」とアドバイスした。
ゴールしたワンジル選手は胸で十字を切って両手を合わせ、ひざまずいた。「優勝のことをずっと考えていた。次のオリンピックも優勝したい」。笑顔に白い歯がのぞいた。〔共同〕

http://sankei.jp.msn.com/sports/other/080824/oth0808241206010-n1.htm
ワンジル、仙台仕込みの「我慢」でV 日本語でメール、後輩の実家に仕送りも
五輪最終日を盛り上げた男子マラソンは、仙台育英高校で駅伝を学んだケニア代表のサムエル・ワンジル(21)が、恩師に教えられた「我慢の走り」で金メダルをつかみ取った。
全国高校駅伝での驚異的な走りで頭角を現したワンジルは、卒業後に所属したトヨタ自動車九州でバルセロナ大会マラソンの銀メダリスト、森下広一監督の指導で実力を養い、初マラソンだった2007年の福岡国際マラソンを大会新記録で優勝。非凡な才能を見せつけた。
五輪では、レース冒頭から先頭集団でハイペースのレースを引っ張り、35キロ過ぎに満を持してスパート。スタジアムでは満員の大観衆に笑顔で手を振りながら走り、五輪記録を更新する完璧な勝利を決めた。
陸上を始めた14歳のころから、ワンジルの夢は変わらなかった。「おれは世界チャンピオンになる。オリンピックに出てメダルを取る」。同高陸上部の渡辺高夫総監督(61)にも初対面でこう言い放った。
一方、同高の国際交流事業の一環でケニアからやってきた15歳の少年に渡辺さんが持った第一印象は、「ひ弱そうな子」だった。トラックを走った経験はほとんどなく、目立った入賞成績もない。しかし、ひとたび走らせてみると、無駄のないランニングフォームが目を引いた。
ケニア人が強みとするバネに加え、地面のとらえ方には天性の才能すら感じた。「練習さえきちんとすれば、おまえは将来チーターになるな」。渡辺さんが五輪を確信した瞬間だった。
トラックを駆けるワンジルに、渡辺さんが横から「我慢、我慢、我慢、我慢!」と声をかけるのが、2人の練習風景だった。レース序盤から全力で走り、最後は息切れしてしまうケニア人選手を数多く見てきたからだ。
ワンジルも5000メートルの試合でトップを守りながら、最後の200メートルで抜かれるという悔しさを何度も味わった。「ケニア人の身体能力に日本人の我慢が身に付けば、メダリストになれる」。根気強く言い続けた。高校2年の高校駅伝で優勝に貢献すると、渡辺さんに笑顔で駆け寄った。「ボスの言う通りだったよ」。
渡辺さんはワンジルの性格について「ばかがつくくらい真面目」と話す。朝練の場所には誰よりも早く到着し、移動に使うマイクロバスの掃除もさぼったことはない。
福岡県の実業団に進み、ハーフマラソンの世界記録を2度更新するなど長距離界のエースとなった今も、記録会で会った後輩を食事に誘い、年に1度は母校を訪れる。
後輩にシューズやウエアなどのプレゼントを渡すワンジルを、渡辺さんが「ボスにおみやげはないのか」とからかうと、あわてて近くの店に靴下を買いに走ったこともある。
自分の家族だけでなく、ケニア出身の後輩の実家にも時々仕送りをしている。 東北弁と博多弁を理解し、メールも日本語。
「日本人が失った古き良きものを、ワンジルは持っている」と渡辺さん。一方で、「自分がケニア人であることを忘れてはだめ。日本人に同化したらつぶれちゃうよ」とも繰り返してきた。日本人では遠く及ばない闘争心や勝ちへの執着こそが、ワンジルの圧倒的な走りを支えてきたからだ。
世界歴代5位のタイムをマークし、北京行きを確実にした4月のロンドンマラソンの後、ワンジルから電話が来た。「これでメダリストになれる。必ず勝てる。負ける気は全くない」。有言実行の栄冠だった。
ワンジルはゴール後のインタビューで日本で学んだことを問われ「きつくても我慢すること」と答えた。そして、「きょうは我慢することができた。日本の皆さんありがとうございました」と、流暢な日本語で続けた。

http://office.kyodo.co.jp/sports/olympics/
beijing/kyodonews/topics2/073705.html

ワンジルに祝福と称賛を贈りたい 優勝にトヨタ九州
北京五輪の陸上男子マラソンでサムエル・ワンジル(ケニア)が優勝したことを受け、最近までワンジルが所属していたトヨタ自動車九州は24日、「ワンジル選手に祝福と称賛を贈ります。
森下監督(バルセロナ五輪銀メダルの森下広一氏)の指導の下、陸上競技部の仲間とともに努力し、最高の結果で期待に応えてくれました」とのコメントを発表した。
ワンジルは7月、東京都内の法律事務所を通じて、トヨタ自動車九州に「退職のご通知」との文書を送付。この日、報道陣に対しても「戻るつもりはない」として、退社の意志も表明した。
しかし、トヨタ自動車九州は文書にワンジル自身の署名がなく、直接の連絡も取れないため「事実関係を確認中」との立場を取っている。