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こちらの欄では内容を適宜テキストで記述。 |
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SODとは、スーパーオキサイド・ディスムターゼの頭文字をとったもので「活性酸素」を取り除く「酵素」のことです。
最近、健康のカギを握る物質として「活性酸素」と「SOD」の働きと役割がクローズアップされてきました。そして、活性酸素が体内に増加すると、癌や成人病など、さまざまな病気を引き起こすことが明らかになってきました。
体内に活性酸素が増えても、本来、人間や動物には余分な活性酸素を取り除くSODという酵素が存在していて、病気を防ぎ、身体の健康を守ってくれます。ところが、現代社会の弊害(公害、薬害、食品添加物の害)などが、活性酸素を暴走させていて、体内のSODだけでは追いつかなくなっています。
しかも、残念なことにSODという酵素は分子量が大きいために内服しても胃で破壊され、腸から吸収されませんでした。
それを、内服できるように研究開発されたのがSOD様作用食品です。
20年もの歳月をかけ、開発した丹羽靭負(耕三)医学博士は、「活性酸素を始めとする免疫学の研究を通して私が知った「自然の摂理」は、私に大自然のメカニズムの精緻さと人間の自己治癒力の偉大さを教えてくれました。『病気は自分が治すもの』私は、この理想を患者さんの誰もが実現できるように医師の立場から最大限の努力を続けています」
この冊子は、丹羽博士の志を受け、誰もが自分の力で健康でいられるようにと願いをこめて作りました。 |
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2008年2月に東京の国際展示場で行われた『第26回健康博覧会』。
度重なる医療ミスや年々高まるクスリの副作用への不安。そして高齢化時代への幕開け。誰もが自分の身は自分で守り、病は未病のうちに予防しておきたいと、この健康博覧会への関心も年々高まっているとか。出展も600社近くにも及び、連日大盛況。
その特別講演として、丹羽靭負(耕三)博士の講演が行われました。会場は立ち見も出る大盛況。演台に登場した丹羽先生の話に釘付けでした。
今回は、その講演のお話をここにご紹介したいと思います。講演のテーマは、丹羽先生がご子息を亡くされた27年前からずっと今日まで変らず訴え続けている「現代医療の限界と薬の副作用」について。私たち患者サイドのみならず、医療に関わる人たちにこそぜひ聞いてもらいたい貴重な話です。
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僕は高知県の土佐清水に病院を持っていまして、あと全国9ヶ所の出張医療所を持っています。さらに不定期に出張して、大体全国で2万人のがん、膠原病、アトピー、難病の患者さんを診ています。その中でまずアトピーのお話をしましょう。
僕は51年前に京大を出まして、僕が医者を始めた頃、アトピーは小学校に上がる前にみんな治っていました。発症する場所も決まっていて、手足の関節周り。アトピックスキンといって、乾燥肌で、鳥肌が立って、毛穴が目立ってカイカイする。それがアトピーのすべてでした。
今から25年位前までの皮膚科の教科書には、アトピー性の皮膚炎と一緒にやってくる小児喘息は、小学校くらいに治ると書いてあったんです。僕が医者になって10年くらいまでは小学校5年生にもなってアトピー患者がいるなんて夢にも思わなかった。
ところが最近は、アトピー患者が100人いると90人は大人の全身型。子供さんの手足だけというのは100人中10人もいない。
20数年前からバブルがはじけて土地が崩落し、銀行、金持ちがみんな倒産です。何とか持ちこたえた企業は合併統合。人件費の節約。それで困るのは一般の庶民。最近の若いお兄ちゃん、地方に行くと手取り20万円を切る。とにかく給料は安い、就職先はない。後はみんな派遣でしょ?退職金は出ない、ボーナスはない。保証はない。そうすると困るのは超重症のアトピー患者さんです。特にお客さん相手にしているサービス業。銀行の窓口、ホテルのフロント、百貨店。上司や社長がそんなお化けみたいな顔をして来るなというわけです。会社を首になる。結婚、恋愛もできない。まともな社会生活ができない。そういう患者さん、うちにいっぱい来ます。仕事は何をしている?と聞くと、まともに会社勤めをしているのは10人中2人です。
そんなアトピー患者さんが医者から処方されて使い続けてきたのがステロイドです。ステロイド。これは53年前にアメリカからやってきました。軟膏も飲み薬も抑える力が抜群。痛みや腫れ、なんでも取ってくれる。これを治る病気に使うのはいい。例えばハゼにかぶれて目が見えない場合はステロイドを使って腫れをすばやく取ってやったほうがいい。ただし、ステロイドというのは、抑えているだけだから治らない病気に使い続けるといけない。ステロイドをずっと使う。そうすると副作用が出てくる。アトピー、糖尿病、緑内障、白内障、リウマチに5年10年とステロイドを使い続けると骨がぼろぼろになってくる。大たい骨が腐ってくる。血管も破れてくる。こういう副作用があるんです。
僕は30年も前から言ってるんだが、命をとらないアトピー、リウマチ、白内障などにステロイドを使うなと。この話を聞いた人は、すぐにやめたりする。これは危険ですから勝手にやっちゃいけない。ステロイドを使い続けていた人が急にやめると、今までステロイドで抑えてきた症状が爆発して大変なことになる。
僕の土佐清水病院に1ヶ月入院したらステロイドを使わずになんとでもしてあげられる。しかし、もっと怖いのはステロイドの禁断症状。急にやめますと麻薬と一緒。ある一定以上をずっと続けて飲んでいて急にやめると、耳鳴りがんがん、頭痛がんがん、挙句の果ては喉頭狭窄といいまして喉がキューと絞まり、気管支狭窄になって死んでしまう。ステロイドを1錠半から2錠以上を2年以上続けている人、急にやめたらいかん。1ヶ月から3ヶ月かけて少しずつやめていくことです。
僕が若い頃、近所のじいちゃんばあちゃんが島根の山奥にリウマチの名医がいるとバ |
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スをチャーターして行っていた。それで僕も見に行ったらなんの事ない、みんなステロイド漬けだった。僕も絶対に使わないわけではない。しかし、基本は使わないです。
白血病で亡くなった息子が
抗がん剤は拷問以上だと
教えてくれた |
僕が抗がん剤を使わないで、何とかがんを治す薬はないかと生薬の研究を始めたのは今から27年前。僕の息子が小学校2年生で白血病になりまして、抗がん剤で生き地獄を見まして死んで行きました。そのことがきっかけです。
当時京都大学医学部を卒業して23年。京大で僕はSLEの専門家でした。(SLEとは全身性エリテマドーデス。自己免疫疾患のうち、代表的なものが膠原病で、膠原病のうち最も多臓器にわたるのが特徴なのがSLE。自己抗体や免疫複合体の出現等に基づく多臓器障害を主徴とする疾患である)英語の論文を20本以上書き、東大の患者さんもほとんど僕が診ていました。
患者さんが来ると、まずはプレドニン(ステロイドの一種)を20錠くらい飲ませる。ところが、プレドニンでコントロールできるのはわずか10人のうち5人。あとの5人はなんぼ飲ませてもびくともしない。プレドニンを100錠、200錠、点滴の中に入れてばんばんやる。次に抗がん剤をやるわけだ。がんというのは、人間の正常な細胞とそれよりも何十倍も強いお化けみたいなものとが共存しているんです。抗がん剤を投与すると患者さんはゲーゲー吐きながらしんどいと訴える。そうすると医者は、検査のデータを見せて、あんた何を言ってるんだ。このとおり抗がん剤のおかげでがんが小さくなっているのに。マーカーの数値が下がっているのを見せられて患者さんは「すみませんありがとうございます。ゲーゲー」と感謝する。そこでまた抗がん剤を投与され、その副作用でゲーゲーやる。人間が死にかかったら抗がん剤をやめる。そうするとがん細胞はどんどん大きくなってマーカーの数値が3倍、4倍になる。するとまた抗がん剤をやる。患者さんはゲーゲーなる。「先生もうやめてください」という。「何を言ってるんだ、マーカーが下がったじゃないか」。「あ、ありがとうございます。ゲーゲー」。また途中でやめる。マーカーが上がる。またやる。「げーげーありがとうございます」。こんなことを繰り返しながら苦しんで死んでいかなければならないんです。
がん細胞のほうが絶対に人間の細胞よりも強い。絶対にがんよりも人間のほうが先に死ぬ。それは自然の摂理であります。僕はそんなこと分かっていたけど、卒業して23年。大学でもこれしか教えてくれないし、教科書にもこれしか書いてない。だから何百人ものがん患者さんが抗がん剤でみんな苦しんで死んでいくのを見届けるしかなかったんです。
ちょうど今から27年前に、僕の自慢のかわいかった長男が白血病になりました。親子だから自分の病院に入院させたら注射も駄々をこねてさせてくれないと思い、当時、西洋医学が全てと思っていた僕は、高知大学病院に入院させました。先生たちは、丹羽先生の子供だから最上級の治療をといって、高額な抗がん剤をばんばん打ってくれまし |
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た。1年3ヶ月。おそらく医者が何万人集まってもこんな凄惨な死に様は見ていないというくらいの地獄を見ました。僕は医者をやりながら神さん、仏さんはどうして自分の一番かわいい息子のこんなむごたらしい姿を見せるのだと。神さん、仏さんは何を考えているのだと思いました。
みなさん、息子は何もしないでいたわけではないんですよ。天下の大学病院に1年と3ヶ月いたんですよ。その当時の最高の医療を受けたんですよ。僕は息子の剛士が亡くなってはじめて目が覚めた。僕は何百人ものがん患者に抗がん剤を投与していたけど、そんなの効果がないことは分かっていた。だけど、これしか大学では教えてくれなかったし、本にもこれしか書いてない。僕は23年間、何百人ものがん患者さんを苦しめて死なせてしまった。神様が僕に抗がん剤をやめさせるためには他人様を苦しめても分からないから、自分の最愛の息子の、この世の最悪の生地獄で見せないと分からないだろうと。
この詳しい話は「白血病の息子が教えてくれた医者の心」と言う本になっていますからよろしかったら読んでください。
息子の死に直面するまで、僕は何百人という末期がん患者さんを診てきました。そして、患者さん本人には言わないけど、必ず家族を呼んで、ご主人はがんの末期でどうしてもだめだと言ってきました。一生懸命にやってきたけど、もう胃の出口ががんで塞がっている。だから何を食べさせても吐きますよ。坐骨の骨にもがんができて、痛み止めは何も効きませんよ、諦めてくださいと言う。そうすると、10人中5人は諦めきれない。患者さんがいっぱい待っている僕の診察室に入ってきて僕の袖を引っ張って、「先生、うちの父ちゃん、痛い痛いって苦しんでいる。なんとか痛くないようにしてくれないか、もう3日も何も食べてないから、おかゆくらい食べられないか」と。
3時間前に胃の出口が全部閉鎖されたと言ってるのに、何がおかゆ一口だと。坐骨にがんができてるから痛みは取れないと言ってるのに、まあ、物分りが悪いなあと思っていました。僕の診察は終わるのが夜の10時、11時です。それから末期がん、進行がんの患者さんのケアをしなければならない。あそこが痛い、血が出た、吐いたと看護婦さんから電話がかかってくる。それを12時くらいまで指示たりして、それから勉強、研究を始めるんです。僕は30年間寝るのは夜中の3時。だから、物分りの悪いご家族の話を聞いていたら寝る時間がなくなってしまうわけです。これはとんでもない、生きていけないと、僕は逃げていました。ところが、今度は自分の息子ががんになった。やっぱりおなじことやっているんだ。僕は医者だからあと3日しか持たないというのが分かる。頭では分かっていても、心はそんなもんじゃない。もう死ぬ寸前までやっぱり助かってほしい。土下座でもなんでもする、助かってほしいと願うのです。血を吐いて苦しんで「とうちゃん助けてくれ」と息子が言えば、ナースコールのボタン |
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を何度も押す。しかし誰も来ない。「このヤローっ!」と、医局に怒嶋り込んでいく。「このばかたれー、おれの息子があんなに苦しんでいるのにお前らは何をやっとるんじゃー!」と。最後は「なんとかしてくれー」と土下座していました。その無様な姿は、今まで亡くなった患者さんの家族がすがりついてきた姿となんら変わりがない。医者であろうがなかろうが、みんな一緒なんです。なんとか助けてくださいと願う気持ちしかないんです。僕はそのとき初めて目が覚めました。今まで亡くなられた患者さんとその家族に申し訳ないことをしたと。
僕は剛士が亡くなるまでは、抗がん剤をばんばん使ってきました。そして、患者さんはのたうちまわって死んでいきました。僕は家族がわんわん泣いているところに行って脈をとって「ご臨終です」と言うだけ。そのあと部屋に帰ってテレビを見ていたんです。
がん患者が苦しんで死んで訴えられた医者なんかこれまでにひとりもいないんですよ。これは普通のお医者さんの日常行事のひとこまなんです。それがあほらしくて、誰が医者なんかやるものかと。
この本は、一般の人に勧めるというよりも、医者、看護婦さんが読まなければいけない本だと思います。自分がそんな目にあったら、間違いなく同じことをやりますよと。患者さんの家族を粗末に扱ったら罰があたりますよと。
末期がん、10人中2人は助かり
5人は苦しむことなく1年、
2年生きる |
亡くなった剛士の十字架が言うんです。こうやって苦しんで亡くなっていくがん患者さんが全国に何万、何十万といる。そういう気の毒な患者さんをひとりでも減らしてあげること。それが僕の生きていく道だと思ったんです。確かに、抗がん剤しかなかった。しかしこれは人問を苦しませて死なすだけ。これだけは絶対にだめだと。かといって漢方、健康食品。がんに効くと書いてあるもの、霊芝、タヒボ、アガリクス、六角とかいろいろありますね。ほうきで掃いて捨てるほどある。僕も最後、追い詰められていろいろ買って来た。病院ではブドウ糖と栄養剤の点滴だけしかやっていないからです。しかし、健康食品や漠方などは剛十のような末期がんの患者にはまったく効かないんです。副作用はないけれど、命を救えないんです。
生薬もたまに初期には効く人もいるけど、ほとんどは得にも害にもならん。僕はどうやったらがんに効く生薬ができるのか。生薬がたまに効く人の数がもっと多くできないのか。剛士が亡くなって27年間探し続けました。時間もお金もかけた。半端じゃない。17億ものお金をかけました。必死になって加工方法を研究、勉強して、22,3年前から少しずつ効く薬ができ始め、この4,5年前からは、大学病院で余命3ヶ月と言われたがん患者が10人のうちひとりかふたりは本当に生きている。あとは抗がん剤で苦しむことなく、半年から1年、2年、3年、4年、生きます。そういう治療法を開発して、今、250人のお医者さんが僕の門下に入って、僕の作った生薬を使い治療を行っています。
僕は西洋医学をやってきていますからCTスキャンも撮る。血液検査もする。科学的根拠に合わせてやっています。症状に合わせて5%は化学薬品も使います。しかし、使っている薬の95%は僕が作った副作用のない漢方的な生薬です。これらは全世界で特許も取っています。全国で3万、4万人のがん、膠原病、リウマチ、アトピーなど難病の患者さんを救っています。
とにかく、ここ2,30年前から病気が非常に悪くなりま |
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したね。がん、膠原病、アトピー、難病の治りが非常に悪いんです。それはどうしてかという話をしましょう。
1970年、この年に地球が変わりました。大人の全身アトピーの重症患者が出始めたのもこの年。昔、日本にはなかった難病、奇病がどんどん出始めたのもこの年。地球の環境汚染がどんどんどんどん酷くなり、汚染が飽和状態になったのもこの年。どんな環境汚染物質が、がん、膠原病、アトピーに悪さをするのかと。そこで発見したのが活性酸素です。
当時は、これを提唱していたのは世界中で僕だけ。活性酸素というのはもともと人間の体にあるものなんです。カビやばい薗が入ってくるとそれを叩いてくれる非常に大事な酸素なんです。ところが、活性酸素は山来すぎると人間の体を攻撃するんです。1970年あたりから体内に環境汚染物質、化学物質が入って活性酸素をどんどん作り出し、人間の体を攻撃し始めたんです。それに対して神様はちゃんと防御機能を与えてくれていまして、人間の体の中には、カビやばい菌が入ってくると活性酸素がそれ行けと出てきて、かびやばい菌を殺してくれる。活性酸素が出来すぎて人間の体を攻撃し始めたら、神様が体のなかにSODとかカタラーゼ、ビタミン剤(C,E,A)などの酵素を与えられて、出来すぎて人間の体を攻撃し始めた活性酸素を取り除いてくれていたんです。1970年までは。ところが1970年を機に、いろんな環境汚染が発生して、体内でどんどん毒性の活性酸素を作り出して、神様が与えられたものでは追いつかなくなった。それでがん、膠原病、リウマチ、アトピーなどの難病がどんどん増え始めたんです。そこで僕は、どんな環境汚染物質が活性酸素を生み出すかということを臨床血液学会で発表しました。
ゴルフ場、みかん畑などに散布する農薬、除草剤、殺虫剤。これらが雨によって土にしみこみ、川に流れ、その水を浄水場で太いポンプで汲み上げる。それをろ過して、殺菌して水道の水としてみなさん飲んでいる。ごく微量を毎日、5年、10年飲み続けると皆さんの肺や肝臓や腎臓の細胞の中の核の遺伝子にたまって遺伝子を傷つけて発がんするんです。
活性酸素を出して、がん、膠原病、リウマチ、アトピーを発症させる環境汚染物資の一番の元凶は室素酸化物です。これが活性酸素をどんどん出し、がん、膠原病、リウマチ、アトピーの原因になるんです。この窒素酸化物は何から出るかというと、鉱物油です。鉱物油を燃やした煙の中にどんどん窒素酸化物が入つている。東京、川崎、大阪などは窒素酸化物の渦の中。自動車の排気ガス。特に重油を炊いたディーゼル車。製鉄工場なんかもみんな重油を炊いている。石油化学コンビナートも重油。そうすると、白動車、ダンプカーの排気ガス、
工場の煙突の煙、これらがどんどん窒素酸化物を出して、どんどん活性酸素を作って、がん、膠原病、リウマチ、アトピー、難病の一番の原因になっているということがわかってきました。
僕は30年位前から、大人になっても治らないアトピーの重症患者、いろんなところを回って食事療法を始めあらゆる治療をしても、何をしても治らない患者さんを診ていました。全国に20人くらいいた。 |
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ところが、15年位前に僕の治療法をテレビが聞きつけて、日本テレビ、TBSが何度も取材に来まして、ただでも忙しいのにテレビに紹介され、全国の重症難病患者さんが全部うちに集まりまして大忙しになりました。
今、厚生労働省の調査では、アトピー患者は全国で37万人いるそうです。当時、年間のうちの入院患者は3千人だったのが、全国の診療所も含めて10万人くらいの患者さんが押し寄せて、僕はめちゃくちゃ忙しかったけど、日本皮膚科学会に論文をまとめて発表したんです。そこに日本の地図を載せ、うちに来た患者さ
んがどこの出身が多いか、日本地図に点を打っていった。そうしたら、環境庁が1999年に大気中の窒素酸化物の濃度を測定した、その測定の1位から5位と、うちの患者の1位から5位がまったく一緒だったんです。
東京、大阪、名古屋、博多(北九州)、岡山。これは、決して人口の多い順ではない。4位の博多から北九州は、北九州工業地帯で、八幡製鉄を始め、日本最犬の製鉄工場が乱立している工業地帯。今から20年前までは筑豊炭田、三池炭田があって、そこの石炭を燃やしていたのが、20年前から石炭が採れなくなって重油を燃やしている。3位の名古屋と5位の岡山。これは共通した工場地帯がある石油化学コンビナート。名古屋は西の端が四日市コンビナートで、東の端に世界最大の白動車工場、トヨタがある。岡山は水島コンビナートがある。西の端に日本鋼管という日本最大の製鉄工場がある。窒素酸化物の濃度と難病はきれいに比例するということの証です。
アトピーの患者さんはだいたい乾燥肌です。窒素酸化物は保湿機能を余計に奪ってアトピーを悪くする。だからアトピーの人は空気の悪いところに住んではダメなんです。うちの土佐清水病院に入院すると良くなる。僕の教えを守って、肉、乳製品を食べないで、ちゃんとしていれば治るんです。
しかし、200人にひとりは、なんぼ守ってもだめ。これはみんな土佐清水病院に就職しかない。今、病院には職員になった元患者さんが40人以上います。土佐清水は足摺岬の最先端でしょ。国立公園で工場を作ることができない。白動車もほとんど来ない。通り抜けることができないから足摺岬に用がない自動車は来ない。僕は、ここは北半球で一番空気がきれいなところだと思っている。ここに来ればアトピーがみんな良くなります。
活性酸素は単独でも悪さをしますが、これが脂肪と結合しますと過酸化脂質に化ける。これもまた活性酸素と同じような事をする。活性酸素と過酸化脂質を比べると、活性酸素のほうがずっと力が強い。ただ、活性酸素はむちゃくちゃ強いけど、できても酵素の力であっという間に出て行く。過酸化脂質は一度体の中に出来ると、腎臓からおしっこになって出て行かない。いつまでも体の中にあって、組織や臓器の壁にへばりついて中にゆっくりと浸透していって、1年、2年、3年たって、組織や臓器を中からゆっくりと破壊していく。非常に強い。本当に体の中で悪さをしているのは活性酸素よりも過酸化脂質のほうなんです。
うちへ来る患者さんもコレステロールや中性脂肪が高い人が多い。お医者さんに、下げないと心筋梗塞や中風になると、お米を控えろ、砂糖を控えろと言われてどうしましょうと言ってくる。言いますよ。コレステロール、中性脂肪はいくら高くても直接、中風、心筋梗塞は起こしません。コレステロール、中性脂肪が機械で測れないくらい高くても元気なじいちゃん、ばあちゃんはいくらでもいます。逆にコレステロール、中性脂肪が基準値内よりもうんと低く |
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て、中風、心筋梗塞になる人がなんぼでもおる。これは僕の独断で言っているんじゃない。名古屋犬学の過酸化脂質の研究では世界ナンバーワンと言われる八木稔先生がおっしゃっている。血液検査で過酸化脂質は測れなかったのが、この先生が独白の測定方法を編み出して、僕も含め世界中の学者が彼のところにつめかけました。
その先生いわく、コレステロール、中性脂肪そのものはなんら悪さはしないと。これが活性酸素でがん化され過酸化脂質になって初めて悪さをする。血液のなかでコレステロール、中性脂肪が活性酸素で酸化される。そこに過酸化脂質ができる。そして血管の壁の内壁にへばりつき、血管
の壁の中にじわーっと染み込んで行く。そして1,2年たって、血管の壁を中から破壊していく。これが頭の血管なら中風。心臓の血管なら心筋梗塞。
90%以上の病気は浩らない病気
ひとつを叩けば必ず全部を叩く
これが薬の副作用 |
これから副作用の話に入ります。17,8年前までは、コレステロール、中性脂肪に効く薬はなかった。気休めに出される薬はどれだけ飲んでも効かない代わりに副作用もなかっ
た。
17、8年前からコロッと変わった。こういう薬が出た。 メバロチン。(mevalotin)これはよく効く。バチーン!と効く。
厚生労働省は毎年春、前の年に起こった薬の副作用情報を発表します。そうしたら、出た。3月2日、朝日、読売、毎日、全部の第一面、何十という薬が載っている中にメバロチンが入っていたんです。メバロチンは去年使われ始めた薬で、コレステロールを落とすのに非常に効く薬だと。ただ、厚生省の調査で分かっただけで34人、急性腎炎になってしまったから気をつけるようにと。僕はそのとき、やっぱり効く薬は怖いなと思いました。使い始めた最初の年だけで34人も副作用が出たんですから。
メバロチンという名前は、今は使いません。2,3年前に特許が切れ、違う名前でいっぱい出ています。20種類くらいの名前になっているから気をつけるようにしてください。コレステロールを落とすのに薬を使わないことですね。メバロチンなどの化学薬品でコレステロールを落とすのではなく、抗酸化剤で活性酸素を落とす事です。
17、8年前はコレステロールに薬は何も効かなかった。せいぜい漢方薬。だから副作用もなかった。しかし、メバロチンは初めて体に必要な肝臓の働きを叩き、返す刀で腎臓をやったんです。病気の考え方ですが、みなさんは医者にかかるとき、病気を治そうと思ってかかりますよね。でも、僕たちに言わせると、90%以上の病気は進行を抑えるくらいで治らないんです。それが今の医学の限界なんです。
まず、がん。次、腎臓。腎臓は薬がない。100人かかると10人は放っておいても大丈夫。薬は効かないから放っておく。これは生き延びることができる。あとの90人は何をやってもダメ。何をやってもジワジワ悪くなって、昔は尿毒で死んだ。最近は人工透
析で生き延びている。透析をやると15年くらい生きられます。ただ、透析を始めると1 |
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日おきに病院に行かなければならない。まともに会祉や学校には行けなくなります。ただ、50歳のおっちゃんが急性腎炎になって65歳で人工透析を始めると、だいたい80歳から85歳くらいまで生きることができます。それなら、普通にしていてもそれくらいの寿命なんだからこれはいい。しかし、20歳のおにいちゃんが急性腎炎になったら40歳か50歳で死ななければならない。どうあがいてもその事実からは逃れられない。これが今の医学の限界なんです。
それから肝臓。この5、6 年前からちょっと数字が変わってきました。アバウトに言います。B型肝炎は100人かかると50人は自分で抗体を作って治してしまう。あとの50人はダメ。何をやってもダメ。C型肝炎は100人かかると10人は腎臓と一緒で、放って置いてもいい。あとの90人はダメ。だからB型肝炎の抗体を持つ50人とC型肝炎の10人以外はダメ。何をやってもダメなんです。早くて15年、遅くて25年で肝硬変になる。そこへ出てきたのがインターフェロン。最初はあまり効かなかったけど、最近ちょっと改良された。昔のインターフェロンはうつ病になるし、糖尿病になるし、あまり効かないわりに副作用があって嫌がられていました。ところがこの5、6年前から改良型が出てきて、今まで効かなかったものが効き始めた。C型肝炎だった僕のいとこで京大の教授に先日電話をしたら、えらく具合が悪そうにしている。どうしたんだと聞いたら、友人の医者が改良型のいいインターフェロンが出たから勧められて打ったと。そんなもの放っておけばいいのに、間もなく溶血性貧血になって亡くなりました。よく効く薬ができたと思っても、やっぱり化学薬品には副作用が出てくるんですよ。
がん、腎臓、肝臓。これは治らない。
次に、命を取らない高血圧、糖尿病、リウマチ。みなさん高齢になると、血圧を治そう、糖尿病の糖の数値を治そうと思って必死になって医者にかかっています。しかし、世界中どこへ行っても、高血圧、糖尿病なんか治らないんです。あれは上がった血圧や糖を薬で下げているだけ。どれも症状を抑えているだけなんです。
リウマチの薬も痛み止めばっかり。痛みを抑えているだけ。治しているわけでもなんでもない。治す薬なんかないんです。すべて症状を抑えているだけ。肝臓、腎臓、がんは、まかり間違えると治らないだけでなく、死んでしまう。薬で治る病気を探したほうが早い。扁桃腺、気管文炎、肺炎。これは杭生物質がいいから治ります。それからかび、水虫、ばい菌がついた病気、感染症などは薬で治ります。
次に喘息。アトピーの患者さんの5人か6人にひとりは喘息も持っています。そして 気管支拡張剤を飲んでいいかとよく聞いてきます。僕は、気管支拡張剤はステロイドではないから飲むなとは言わないけど、今のお医者さんの指導で間違っている人がいっぱいいるので要注意なんです。喘息の発作が出るのが怖いから、発作が出ないように朝晩予防的に飲みなさいと言う医者は間違っています。朝晩予防的に毎日飲んでいたら心臓をやられますよ。
気管支拡張剤というのは、交感神経という自律神経を刺激して気管支を拡張してくれるものです。ところが、交換神経を刺激すると、気管支を拡張するのと同時に心臓に行って心臓をトントンとやる。発作が出かかったどきにたまに飲むのはいいけど、朝晩予防的に飲むのはいかん。心臓を毎日毎日刺激していると必ず不整脈が出ます。
がんを叩いたら正常な細胞を殺す。気管支拡張剤をやれば心臓がやられる。正常なコレステロール値を下げたら腎臓をやられる。これが今の西洋医学の化学薬品の副作用なんです。今の製薬会社が薬の開発で一番困っているのは、一つの臓器だけを先端的に叩 |
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く薬がないんです。ひとつ叩いたら必ず全般的に叩く。これをトータルキリングといいます。
有名な大学病院に行ったら、がんも膠原病もなんでも治るんだろうと思うのは、偉大なる錯覚なんです。血圧、糖尿、リウマチも治る薬はない。抑えているだけなんです。ステロイド、あれは抗がん剤なんですよ。がんにも抗がん剤、命をとらないリウマチにも抗がん剤。治らないのに何でリウマチに抗がん剤を飲ませるんですか。
僕は西洋医学をやってきたから、決して化学薬品は絶対に使うなとは言わない。必要とあれば使う。肺炎で放っておいたら死ぬ患者さんには抗牛物質がやはり効く。ただね、抗がん剤とステロイド、免疫抑制剤だけは気をつけないといけない。僕が医者になって50年、何も変わっていない。僕も化学薬品は使いますよ。しかし、例えにきびの薬を使っただけでも1ヶ月に1回は検査しながら、びくびくしながら慎重に使う。今の若い医者が、僕はがんでも膠原病でもなんでも治してやると言いながらやみくもに抗がん剤を投与します。やるのはいいが、もう少し医学の限界を考えて、薬の副作用の怖さを知って、もう少し謙虚な気持ちで副作用に注意しろ、というのが僕の言いたいことです。
原始人の胃液のような作用
SOD様作用食品の医学的作用 |
結論からいいますと、原始人にがんもなければ成人病もないんです。漢方の言葉にこういう言葉がある。『同病(証)異治』。ひとつの病気にある漢方薬を使って、異なる結果が出る。治る人と治らない人がいる。とても非科学的な表現なのだけれど、これは確かにあるんです。とにかく、効く人と効かない人との間にどんな差異があるのかと。
僕は息子が亡くなってから27年間考えてきました。神様は人間や動物を作られたときに、お前たちが食べている食事、木の葉っぱ、木の芽、木の実、木の根っこ、天然の食事の中にがんに効くものも、活性酸素に効くものも、難病、膠原病に効くものも、みんな食品の中に与えてあげていると。それをお前たちが食べて、体の中で活性型にして薬にしなさいよ、それで病気から体を守りなさいよと。だから原始人にガンもなければ成人病もないんです。
医食同源という言葉がある。昔はお医者さんなんかいないから医というのは薬の事。薬と食事は同じものだと。食べているものが薬なんだと。ところがなんで人間だけががん、膠原病、難病にかかり始めたかという事になる。僕は27年間いろいろやってきましてね、結局到達したことはこういう事です。
天然の植物、木の芽、木の根、木の実の組織図は、みんな正の形で繋がれているんです。タンパク質が手を繋いでいるんです。(図参照)天然のままでは活躍できない非活性型なんです。木の葉っぱが仮に活性型だと紫外線が降ってきて活性酸素をばんばん出してしまう。人間や動物がそれを食べると病気になってしまう。ところが、植物は非活性型で紫外線を跳ね返すから、人間や動物は食べられるんです。しかし、食べたら強力な胃液で重合型のチェーンを切って、白由な活性型にして身体の中で吸収させないと意味がないんです。原始人はそうやってきた。ところが、人間は幸か不幸か火を使うことを |
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覚えた。調理を始めた。食事が柔らかくなった。食べるときに以前ほどあごを使う必要がなくなった。おのずと唾液や胃液がそんなに活躍する必要もなくなった。そうしている間に、唾液、胃液が退化し始めた。神様がせっかく、あなたたちはあごで噛んで咀嚼し、唾液をよく出して、強力な胃液でこのチェーンを切りなさいと言われたのに、切る力がなくなったんです。野獣や家畜は依然として生物や草、木の芽、木の根を食べています。
僕はある実験をしました。3本試験管を立て、1本は朝、獣医さんに馬の胃液を抜いてもらって入れたもの、もう1本は漢方薬がぱち-んと効く人の胃液をもらって入れたもの、最後に皆さんと同じ普通の人の胃液を入れました。そこに大豆、ゴマ、胚芽などを微粉末にして入れ、胃袋と同じ状態の37度の保温器に入れて3時間置いておきます。保温器から出して、遠心器にかけて、粉を下に落として、胃液を捨てて、下に溜まった粉を調べたんです。牛や馬の胃液につけた粉と、漢方が効く人の胃液につけた粉を調べたら、チェーンが全部切れていた。普通の人の胃液につけた粉はチェーンが切れていなかったんです。ということは、漢方薬が効くわずかの人は原始人の胃液を持っているんです。胃液が退化していないんです。
僕の抗酸化食品の原料は大豆、ゴマ、胚芽とかです。そこらへんにいくらでも安く手に入るバカ見たいなものばかりです。成分表示といわれるとお恥ずかしい次第です。ところが、僕の高酸化食品は加工方法が違うんだと言いたいわけです。チェーンを切るんだと。どうやって切るかと。
糠に熱を加えると表面が焦げてしまって芯まで熱がいかない。芯まで熱が行って表面が焦げない、がんに効く成分は焦げたら壊れますから、当時、遠赤外線なんか何もない時代に、花崗岩で土鍋を作って、炭で3時間、4時間炒った。そしたら表面がまったく焦げずに、芯まで熱が通つてこんがり焼けたんです。そこに麹をかけて発酵させる。硬い大豆も発酵すると柔らかくなり、さらにアミラーゼ、プロテアーゼが出る。たんぱく分解酵素が出る。だからきれいにチェーンを切ってくれる。それを油剤化して完成です。
遠赤外線焙煎、麹発酵、油剤化。これが僕が作っている抗酸化食品。SODももちろんそうですが、それ以外にも十何種類あります。それで、進行がん、末期がんの患者さん、10人のうち3人は死んでしまうけど、2人は助かり、あとの5人は苦しまずにかなり生きていられます。
最後にもう一摩言います。90%以上の病気は治らないんです。効いたと思った薬は副作用があるんです。これが西洋医学の限界なんです。僕は、それに取って代わるものを子供が亡くなって27年、必死に研究して開発したんです。
丹羽先生診察ご希望の方は御紹介、御予約いたします。
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先生は息子さんの死をきっかけに化学医療に取って代わる真の医療を目指し、研究を続けてきました。そんな中から多数の著書が生まれました。
『安心の医療、本当の健康』 みき書房刊 定価1300円(税込)は、患者よりも研究発表に重点を置いた日本の大学病院を始めとする医師たちに警鐘を鳴らす本となっています。そして、
本当の医療、健康というのは、患者自身の力を引き出すことから始まるのだといっています。
『白血病の息子が教えてくれた医者の心』 草思社刊 定価1575円(税込)は、今回のインタビューでも触れられていますが、息子さんの死によって目覚めた医師としての姿勢、心。読み進むうちに涙が止まらなくなる一冊です。
『正しいアトピーの知識』 廣済堂刊 定価918円(税込)は、アトピー治療の第一人者である博士が間違った化学療法や民間 療法でアトピーを悪化させている多くの患者さん達に送る、バイブル的な一冊です。
『天然SOD製剤がガン治療に箪命を起こす』 廣済堂刊 定価920円(税込)は、抗癌剤治療、化学療法がすべてという医学界に一石を投じた、まさに革命的な一冊。
『医は仁術なり』 至知出版刊 定価1575円(税込)は、医師たちを始め、現代医療に疑問を感じ、悩んでいる患者さんに送る、医療の本質を問う一冊。
『丹羽療法 全国のアトピー患者が信頼するこれだけの理由』 リョン社刊 定価1365円(税込)は、土佐清水病院を始め、全国のサテライト診療所で丹羽療法を体験し、救われたアトピー患者さんたちの生の声を集めた一冊。
最新刊の『がん治療究極の選択』 講談社刊 定価840円(税込)では「抗癌剤で完治するので抗癌剤を使ってもいい癌」「使っても絶対に苦しんで死ぬだけの癌」「抗癌剤を使ってはならない癌」など細かく分類して癌患者さんの治療指針を記載し、抗癌剤の正しい使用方法を訴えています。
『SOD様作用食晶摂取者の体験報告』 日本SOD研究会刊 定価1260円((税込)は、SOD摂取者さんたちが全国から送ってくださった葉書を素にした生の声を集めた一冊。生ならではの実体験が心に響きます。 |
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日焼け、紫外線はシミ、シワ、
生活習慣病をも誘発
オゾン層の破壊が進むにつれ、紫外線の強さが増し、数十年前とは比較にならない量の紫外線がこの地球上に降り注いでいます。昔は日光浴といって人体にビタミンDを取り込むために日に当たった方が良いとされていましたが、紫外線の強度が増した今、その害のほうがクローズアップされています。
紫外線の悪影響としてよく知られているのはシミとシワです。カラスの足跡と言われるような深く刻まれたシワは、ほとんど日光に当たる部分の多い顔にしかできません。これを「光老化」といいます。加齢による生理的老化現象によってできるシワは、細かいちりめん状で「光老化」とは異質のものです。
また、シワと同様に気になるシミも紫外線が大いに関与しています。さらに恐ろしい事には、紫外線と可視光線(人間が見ることができる波長の電磁波、光の事)が結びつくと皮膚上に「活性酸素」を生み出すことが分かっています。活性酸素は、細胞膜の皮質やDNA、たんぱく質、酵素などにダメージを与えフリーラジカルという作用を起こします。この結果、皮膚がん、糖尿病、高血圧症、肺疾患などを悪化させ、アルツハイマーや、痴呆症まで誘発することが分かっています。
つまり、日焼けは、単なるシミ、シワの人敵であるだけでなく、各種成人病を誘発する危険な存在なのです。
紫外線によって活性酸素が増える
外で働く人たち、特に畑仕事や土木関係の仕事をしている人たちの首筋が赤鋼色に焼けているのを見かけます。あの日焼けは、一種の皮膚がんに似た症状で、原因はやはり紫外線と活性酸素です。 |
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生体にとって紫外線は、一種の異物ですから、皮膚細胞、組織を守るために活性酸素が生まれ、外敵である紫外線を退治しようとします。ところが、そのときに活性酸素は、しばしば力が余って自分の肌を傷つけてしまうのです。大量に敵(紫外線)が襲ってくれば味方(活性酸素)も大量に出て行かなければなりません。こうして膨大な敵と味方が肌の中で戦うのですから、当然その周囲は惨惰たるありさまになってしまいます。直接太楊に当たるたびにこの戦いが表皮膚や真皮膚で繰り返されるのです。
もっと恐ろしいのは、日常のこの小型の戦いが女性の柔らかい肌の中でも起きているという事なのです。皮膚がん症状までにはならなくても、日々、肌を痛めつける紫外線と活性酸素の戦いが発生しているのです。殺菌力のある紫外線と細胞の核まで貫いてしまう活性酸素がやり合っていたのでは、どんな強い肌の持ち主でもたまりません。
紫外線に当たった女性の活性酸素値を計ってみると、皮膚の表皮がいちばん高く、層が深く なるにつれてだんだん値が低くなっていきます。これは何を意昧しているかξ言うと、皮膚の表面ほど紫外線の影響が強く、それに対抗する活性酸素の量も多い深い層では紫外線の影響が弱いために、活性酸素の量もずっと少なくなっているという事を表しています。
紫外線と活性酸素によって起きる皮膚がん症状のずっと軽いものがシミ、ソバカスです。また、活性酸素が至近距離から細胞核を狙って肌を支えている大切な膠原繊維を破壊してできるのがシワです。
これらの原因が活性酸素であることは20年ほど前から国際的な研究で明らかにされています。
しかし、同じ日光に当たっても、シミやソバカスが出来やすい人と出来にくい人がいます。これはなぜでしょうか。その理由はただひとつ。個人それぞれが持っているSODの力が強いか弱いかという事だけなのです。活性酸素値が大変高い人、ほとんど活性酸素が認められない人など、何人かの女性の皮膚を検査してみました。その中でSODの検査をしたところ、活性酸素値が高い女性はSODの力が弱く、皮膚も荒れていました。反対に活性酸素値が認められない女性はSODの力が強く、その肌はしっとりとなめらかでした。保湿性もたっぷりでみずみずしく活き活きとしていました。肌の細胞に害を与える活性酸素をSODが完全に中和しているからです。 この数年、アメリカやフランスでも、女性の肌をめぐって活性酸素とSODの研究が盛んに行われていますが、最近、みずみずしく美しい肌であるかどうかは「SODの力関係だ」ということが確認され、そのデータは科学アカデミーにも登録されました。
皮膚は、必須アミノ酸から |
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2段階、3段階を経てメラミン色素が形成され、シミ、ソバカス、シワを作ります。この段階の変化は、すべて酸化によるもので、しかもどの段階にも活性酸素が関与しています。
生体には自已酸損傷ということがあります。活性酸素こそ自分自身の皮膚や細胞を酸化させ、損傷を与える元凶なのです。
そんな女性の肌を保護してくれるのは、生体を酸化から防いでくれる自然の食品だけです。SODだけです。SODや抗酸化食品を食べる事は、肌を紫外線や環境汚染から守るだけでなく、美しく変えてくれます。SOD様作用食品が様々な疾患に良い事はもちろんですが、これを常食している女性の中で最も大きな好転変化は、80%以上の人の肌が瑞々しく、艶やかになったという報告です。
生活要因が生んだ余分な活性酸素をただちに消去する事と、血管内の過酸化脂質を除去して血液の循環をスムーズにしている事が美しい肌の大きな要素なのです。
便秘は肌荒れだけでなく
様々な疾患にもつながる
女性の3人にひとりは便秘がちと言われ、ひどい場合、1週間、10日に一度の排便しか出来ないという人もいます。女性に便秘が多いのは、女性は男性に比べ骨盤が広い(赤ちゃんを産むため)という身体的特徴があります。当然、骨盤が広いと腸が骨盤内に落ち込みやすくなります。
小腸の出口(大腸の始まり:盲腸部)まではどんな人でも便はまだ水分を多く含んでいます。水分は大腸で吸収され、便が形づけられます。つまり、便が大腸に停滞する時間が長ければ長いほど、便は水分が吸収され硬くなり腸内を通過しにくくなるのですが、骨盤内に落ち込んだ腸は曲がりが強くなり固定が悪くなります。ゆらゆらと揺れが激しいつり橋としっかりと固 |
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定されている普通の橋ではどちらが歩きやすいか?当然、固定されているほうですよね。つまり、女性の腸は男性に比べ腸の固定が悪い人が多く、どうしても便秘がちになってしまうのです。また、女性は男性よりも腹筋や横隔膜の筋力が弱いために便を排出する力が全体的に弱いという事もあげられます。
腸の中に便が長い間貯留すると、便は腐敗を起こし多くの有害物質を作ります。腸の中には善玉菌、悪玉菌がバランスよく保たれていますが、有害物質の毒素が腸内の悪玉菌の増加を助け(居心地の良い場所として)、様々な病気を引き起こす原因となるのです。腸閉塞、大腸がんなどの
危険性もはらんでいます。
だからといって安易に市販の便秘薬を使用するのはいかがなものでしょうか。東京女子医大の代田文彦教授の著書『便秘と東洋医学』に、市販の便秘薬には次のような課題があると指摘しています。
西洋の便秘薬は、腸をただれさせ、腸を苦しませて排便させています。つまり、腸の壁をわざと少し荒して炎症を起こさせます。そうすると腸が刺激され、腸の動きが活発になるのです。しかし、これを長く続けると慣れてきて少し荒れたくらいでは腸が動かなくなってきます。そこで薬の量を増やし、もっと荒らさなければなりません。これを繰り返していると、今度はただれすぎて腸が動かなくなるのです。
このような腸を荒らして便を出すやり方自体が間違っているのです。腸本来の動きを回復させない限り、便が出るようにはなりません。薬でひどく下痢をさせて、そのあと便秘が続き、また薬で下痢をさせて出す。ということを繰り返していると大変なことに
なります。むしろ腸を保護し、ただれを治し、腸本来の動きを取り戻しましよう。
このような便秘の改善にも腸に有効です。丹羽博士の著書『SOD様作用食品の効果』にも、そのことは記されています。SOD様作用食品を摂取することで、ほとんどの女性が便秘が解消されたという報告も届いています。成分であるごま、犬豆の繊維質が排便を促し、血流が良くなることで腸の動きも活発になるからです。SOD様作用食品は、美容だけでなく、全身の健康維持や病気予防、老化予防の対策になるのです。 |
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高齢化時代に急増!!
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乳がん 前立腺がん特集
乳がんと前立腺がんは、共に性別によって区別される疾患です(まれに男性の乳がんもいます)。その疾患が最近急増していると言います。その原因、対処方などを丹羽先生に伺ってみました。 |
乳がん
乳がんというと、ひと昔前は乳房を完全切除しなければならない、女性にとって深刻な病気でした。今は温存療法や切除後の豊胸など、さまざまな選択ができるようになりました。また、自己チェックに始まり、マンモグラフィ、X線などの検査で早期発見、早期治療もできるようになりました。しかし、これら医療の発展の裏には、乳がんにかかる女性が急増していることを見逃してはなりません。その数は50年前の倍に増え、いまや日本人女性がかかるがんのトツプの座を占めています。もともと乳がんは欧米女性に多くみられ、日本人の発症率はアメリカ人の4分の1から7分の1でした。ところが、食生活の欧米化と共に急増し続け、昔はホルモンのバランスが崩れる40代以降に発症することが多かったものが、最近30代にも広がりを見せています。
今回、丹羽先生には、そんな乳がんの原因、治療法、危険度などを伺ってきました。
乳がんに無罪放免はない
−−最近、乳がんにかかられる女性が増えていますが、乳がんとはどのような?
「乳がんというのは奥が深い病気で、とても一言では語れない。まず普通のがんは、手術をして腫瘍がすべて取り切れて、その後5年間、再発しなかったら無罪放免なんです。しかし、乳がんは10年、20年、30年たっても無罪放免はない。30歳のときに手術で取り切ったがんが70歳になってから再発したりするものなんです。それと、普通のガンは転移のコースが決まっていないけれど、乳がんだけはコースが決まっている。腫瘍を取った後、乳房のまわりのリンパ腺、次に骨に転移する。ここまでは致命的にはならない。しかし、次に肺と肝臓に転移すると、これはもう致命 |
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的になる。99%このコース以外には行かない。たいてい肝臓ガンで死に至るけれど、肺にきてしぶとくがんばると最後は脳にくるんです」
−−かかるのはやはり女性ですよね
「99%女性。ただ、男性もなりますよ。うちにも3人くらい男性患者さんがいる。一般的に女性しか女性ホルモンが出ないと思っている方が多いみたいだが、男性も女性ホルモンを作っている。ただ、その量のバランスが女性とは違うという事。女性ホルモンにはエストロゲン(卵胞ホルモン)とプロゲステロン(黄体ホルモン)という2種類がある。この女性ホルモンが過剰になって乳腺を刺激する事から乳がんができる」
−−近年、増加傾向にあるのはどうしてでしょうか。
「昔、日本人は肉や乳製品を ほとんど食べなかった。その頃は生理がもう終わってしまった女性に乳がん患者はあまりいなかった。ところが、終戦後、欧米の食生活になり始めてから、生理が終わってしまった女性の乳がんが出てくるようになったんですね。どうしてかと言うと、肉や乳製品を食べると自分の体内では女性ホルモン、卵胞ホルモンを作らなくても、食べた肉が副腎に行って女性ホルモンに変わるんです。自分は作らなくても食べた物からできてしまうわけ。また、アメリカは肉食杜会で環境汚染、ダイオキシンの汚染も酷いから、それが卵胞ホルモンに作用して、乳がんの患者がものすごく多い。アメリカの乳がん患者は中高年の10人にひとりの割合でいる。これはすごく高い割合です。あと、最近日本で70,80歳のお年寄りの乳がん初発、再発がぞろぞろいるんです。これも日本人が若い人だけじゃなく、老人も肉を食べているという事ですね」
−−環境汚染が乳がんに関係しているというのはどのように?
「環境汚染の中で一番たちの悪いのは塩素化合物。その代表格がダイオキシンなんです。これは人類史上最後で最強の毒物と言われています。何が最強かというと、体内に入って脂肪とくっついてなかなか離れない。どんな事をしても体外に出ないと言われているんです。これが女性ホルモンの作用をするから困るんです。雄のめだかを雌に変えるくらいの力を持っている。
アメリカはこのダイオキシンの環境汚染が酷いんですよ」
ホルモン治療の大きな間違い
−−その乳がんですが、治療法は
「まずホルモン治療の話を最初にしましょう。乳がんの治療には、女性ホルモンを抑えるために男性ホルモンを2年くらい飲ませるんです。この方法は、卵胞ホルモンを抑えるのに生理のある若い女性には効果的。だけど、50歳過ぎて生理が止まっている女性にも男性ホルモンの治療をしているのが現状の日本の病院なんです。僕から言わせるとそれはとんでもない事。だいたい50歳過ぎた女性は肉、乳製品さえ食べなかったら卵胞ホルモンはできないのだから男性ホルモンの治療はいらないんだ。うちに来た患者さんには、そんなもんいらない、飲むなと言ってます。でも、そこらの医者はみんなそんな事を知らないから50過ぎた女性に男性ホルモンを飲ませている」
−−50過ぎの方が飲まれるとどうなるんでしょうか。
「男性ホルモンはあんまり飲せると卵巣がんになる。こ |
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れも膨大な治療をしている中で発見した事。乳がんは卵巣には転移しないのに、どうも乳がん履歴患者に卵巣ガンになるのが多いなと思ったら、案の定、50,60歳のおばさんが医者から言われたというので一生懸命に男性ホルモンを飲んでいたんですね」
−−あの、美容や更年期のために女性ホルモンを活性化するサプリやドリンクを飲んだりするのはどうなんでしょう。
「どうでもいいようなサプリなら毒にも薬にもならないからいいけど、ホルモン剤を飲んだり打ったりするのはいけません。そんなものやるものじゃない。例えば命に関わる前立腺がんの患者さんには、ホルモン療法は効果的だけど、普通の人間が美容だけの理由でホルモンをいじっちゃいかん。ホルモンは自然のバランスが一番。外から操作するものじゃない。さっきも言ったように50歳すぎて女性ホルモンが出なくなった乳がんのおばさんに男性ホルモンを飲ませたら、卵巣ガンを誘発するわけだからホルモンというのは怖いものなんですよ。あと、よく生理がしばらくないという若い女性がホルモン剤を飲んで治療していると言っているのも論外。だいたい若い女性が生理不順なのは当たり前のこと。ストレスだってあるだろうし、そんなもの放っておいたらそのうち治る。半年くらい生理が来ないくらいで慌てちゃいかん。生理というのは、子供を産むためにあるもので、すぐに子供を生む必要がないんだから無理する事はないんです。
ホルモン剤を投与してもいいかどうかを調べる検査があるんです。リセプターといって受容体を見るんです。乳がんの細胞に女性ホルモンがくっつくかどうかを見る。乳がんの細胞が女性ホルモンを受け入れるかどうかを見るんです。その性質がなければホルモン投与はしなくていいんです」
−−それが何でもかんでもホルモン投与になったのはいつ頃からなんでしょう。
「20年くらい前に、僕も行ったんですが、大阪大学の学長の退官講演というのがあって、彼は乳がん専門の外科医だった。その学長が言うには、50年以上医者をやってきた中で、いろんな病気で卵巣を取ってしまった女性千人と卵巣を取っていない女性千人を調べたら、卵巣を取った女性はひとりも乳がんになっていないんです、と言っていました。という事は、受容体がプラスであろうがマイナスであろうがとにかく女性の卵巣を取って、女性ホルモン、エストロゲンが出ないようにしたら乳がんに効くという事です。昔は今みたいにホルモン剤なんかなかったから、乳がんになったら卵巣を除去する事が多かったんです。
−−今は手術はしないんでしょうか。
「そりゃ手術なんかするよりホルモン剤治療のほうが簡単で、医者も患者さんも楽だから」
−−なるほど。お話を伺ってきて、予防をするとしたらまずは食生活に気をつけることですよね。特に50歳を過ぎたら肉乳製品は控えると。次に環境汚染のダイオキシンですが、これは予防といっても難
しいですよね。
「除去できるんですよ。うちにはマグニーという国宝石があるんですが(注1参照)、この風呂にうちのアトピーの患者さんを入れてダイオキシン濃度を測ったら、3週間で半分になったんです。(別表
参照)」
−−マグニー石というのはそんなに効果があるのですか?
「これはいいですよ。汚染物質を除去するのには最高。水銀や窒素化合物、脂肪にくっついたダイオキシンまで取れる。この石を入れたお風呂に入ると、新陳代謝が艮くなって、3分で血管がドクドクして汗がダラダラ出るんです。岩盤浴もいいけど、本当に効くのはマグニー石。老化現象の膝の痛み、腰痛、肩こりにも最高です」 |
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注1 マグニー石
太古の時代、地底のマグマが噴出したり、落下してきた隕石から石は形成されました。そのためにこの時代の石は、強カな太陽エネルギーを吸収し、放出するカを持っていました。それがマグニー石です。この石は、巷にあるトルマリン、セラミックなどとは比較にならないほどの強力なパワーを有し、遠赤外線に一部である育成光線を放射することが証明されています。少量を暖めて患部に当てるだけでも効果があります。
お問い合わせは、株式会杜丹羽メディカル研究所まで。
(TEL 0120-731-175)
前立腺がん
男性は50歳になったら
必ず検査を
がん統計白書によると、10年後に多いがんの予測順位は、1位「肺がん」、2位「胃がん」、3位「前立腺がん」となっています。なかでも前立腺がんは2000年比の倍、総患者数は7万8千人にものぼると予測されています。前立腺というのは男性にだけあり、精液の一部を作る臓器です。この前立腺にできるがんが前立腺がんと言い、年をとる事によって多くなるがんの代表と言われています。高齢化社会の到来と同時に増加するのは当然と言えば当然の事なのかもしれません。男性にとっては気になるがんと言えます。症状は、尿が出にくい、尿の回数が多い、排尿後の残尿感がある、夜間の多尿、尿意切迫一尿意を感じるとトイレに行くまでに我慢できな状態)、下腹部不快感などです。検査の結果、前立腺がんと診断されても転移がない場合の症状は、前立腺肥大とほとんど変わらないとか。がんの中では比較的おとなしい部類なのです。ですから、早期発見などで見つかったがんを過剰に治療しなくても、放っておいても寿命に関係ない場合が多いそうです。しかし、このがんを手術などで摘出したり、放射線照射で消滅させたりすると、副作用で尿失禁や性機能障害になります。そんな中、早期がんからおとなしいがんかどうかを見分け、治療を待機する「PSA検査」(※注1)というのが注目されています。今回は、高齢化社会到来とともに増加するとされる、この前立腺がんについて丹羽先生にお話を伺いました。
手術をすると一生おむつ生活
−−前立腺がんが10年後には肺がん、胃がんに次いで、がん患者の3位になるという結果が出ています。 この男性だけがかかるがんというのはどのようなものなのでしょうか。
「まず、がんの手術云々という話をしておきましょう。私は、常日頃、普通のがんの場合、抗がん剤治療なんていうバカな事はやめろ、手術で取りきれるという条件のもとでなら手術をしたほうがいい、と言っています。なぜ取りきれるという条件かというと、がん細胞というのは、一部だけ切り取って、残りを傷つけたままで残しておくと爆発して四方八方に散るんです。例えば、胃がんが肝臓にへばりついているがん。これは取っても取りきれない。なぜなら肝臓という臓器は、一部だけ切り取ることができないからです。切ったら出血多量で死ぬからです。そうなると、開腹手術しても開けただけですぐに閉じる。肝臓に限らずとにかく取りきれないのなら取らないで開腹のみというのは医学界の常識。よく、取りき |
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れないで一部のがんを残して抗がん剤をばんばんやる医者がいるが、これは言語道断。とんでもないこと。
婦人科のがんなどは、お産のときに開腹してから卵巣がんが見つかる事があります。爆発してはいけないと思って取ろうとするけれど、婦人科のがんはものすごくやわらかいから、取ろうと思ってちょっと引っ張り上げたら破れる事がある。そうすると腹膜の中にがん細胞がバーンと飛び散ってしまう。これを腹膜播腫と言います。だから、がんを取るときはよほど気をつけないといけない。取りきれないものを残しちゃいけない。ましてや残して抗がん剤なんてもってのほかです。
ところがこの常識の例外がいくつかあります。そのひとつが前立腺がん。あと食道がんもそう。まだ手術でどんどん取る医者がいるけれど、基本は取らない。
前立腺がんを手術で切ると、おしっこが自力で出せなくなるんです。そうすると垂れ流しになり、おむつ生活。後が厄介なんです。だから普通、手術はしない。また、食道がんは、取ると一生、ラッパみたいにブーブー嶋る人工喉頭をつけなければいけない。
いつも言っているように私は抗がん剤は完治するのなら使うけど、ほとんどが苦しんで死ぬだけだから使わないんです。
ところが、食道がんは今、抗がん剤と放射線をやると治る。だから切ってはいけないんです」
ホルモン療法と
丹羽療法で安定
−−では前立腺がんは手術をしないでどんな治療法をするんですか?
「ホルモン剤治療をやります。男性ホルモンを抑えるホルモン剤があって、これをやると20人中19人はうまいこといきます。それと前立腺がんはあまり死なないんです。胃がんや肺がんみたいにとんとんとんと来て、1年、2年でポンと死ぬ、というような事がないんです。治りきることもないけど、ホルモン剤を打って押さえていればわりと生きるわけ」
−−転移なども少ないのでし ようか。
「少ない。もしも死ぬとしたら決まっている。何百人にひとりだけど、肺か骨に転移するという非常に特徴的な転移をするんです。骨の場合、前立腺と腰の骨の位置が近い事から、よく腰が痛くなり腰痛と間違えられてしまいます。ちゃんとレントゲンを撮ると骨のがんになっていたという事がある。骨のがんの大元はどこかなと調べると、前立腺にがんがあったとなる。それくらいすぐに骨に転移するんです。前立腺がんは、案外自覚症状がないから分かりにくいですね。
しかし、骨のがんくらいでは痛いけど死なない。死ぬのは肺に転移したやつです。でも、それは非常に少ない。だからこのがんは普通のがんよりは長生きできます。ホルモン剤をやっているとだいたい4年くらいで効かなくなるので、そうなったら放射線と抗がん剤治療。そして最後に手術でいい」
−−原因はどこにあるのでしようか。
「僕のようにキリストかお釈迦様の生まれ変わりかと言われている、例えマリリンモンローが隣で裸で寝ていても指一本触れないような高貴な人間は(笑)前立腺がんにはならない。はっきり言って、すけべなおっちゃんがかかる病気なんです。慢性刺激、使い過ぎがいけない。仮に前立腺がんになりかかっていても、女性をピシャリと断つと治りますよ。生きていけます」
−−本当ですか?
「これホント。とにかく前立腺がんにかかると男性ホルモンの働きを抑えるために女性ホルモンを投与されるわけで、そうすると性欲がなくなるんです。女性が好きなおっちゃんはこの治療法をみんな嫌がる(笑)。でも、4年間 |
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は手術をしなくても生きていけます。ま、私の薬を併用していればだいたい5年から10年は大丈夫。4年で効かなくなることはない」
−−発見する方法は?
「一番いいのは、まずPSAというマー力ーがあるので、その検査をする事。乳がんや卵巣がん、肺がんとかの普通のマーカーの該当確率は90%なんです。残りの10%くらいは実際のがんとマー力ーが相関しない。ところがPSAだけはパチンと一致するんです。100%。このマー力ーが悪かったら間違いなく前立腺がん。
もうひとつ、人間とがんが共存して生きるのがこのがん。PSAマー力ーが高くて、実際にがんがあっても、何も治療をしなくても生きている人もたくさんいます。これも他のがんに見られない前立腺がんの特徴」
−−では、がんになっている事に気づかない事もあるという事ですよね。
「あります。多いですね。だから使い過ぎで、尿が近い、尿を失禁すると言う人は絶対に検査をしたほうがいい。特に要注意ですね」
−−よくある健康診断でPSA検査は組み込まれているのでしようか。
「ないんですよ。これだけ前立腺がんが増えてきているのだから絶対にやらないといけない。PSAでパチンと判明するのだから。子宮がん、乳がん検診と同じように男性も50歳を過ぎたら検査は絶対に
やったほうがいいです。血液検査で済むから。それで本当に死ぬのが怖くなって使わなくなるとPSA数値がどうなるかと言うと、まず7くらいまで上昇して横ばいになる。
完全に使うのをやめて2年くらいすると下がりだすんです。人間と共存するんです。だからがんの中では言ってみれば組みやすい。なんといっても自分でコントロールできるのがいい」
−−SODは効果あるのでしようか。
「もちろんあります。発がん原因の活性酸素を抑えるから、そりゃ飲まないよりは飲んだ方がいい。これは前立腺がんに限らずすべてのがんに同じ事が言えます」
※注1 PSA検査
前立腺がんを発見するきっかけとなるひとつの指標。値が血液1mlあたり4〜10ng/mlがグレーゾーンと言われており、その場合には20〜30%にがんが発見されます。
PSA値が10ng/mlを超えると50〜80%にがんが発見されます。100ng/mlを超える場合には前立腺がんが強く疑われ、さらには転移も疑われます。この検査は前立腺がん検査としては最も有用と考えられています。
(前立腺がん診療ガイドライン2006年 日本泌尿器科学会編) |
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SOD様作用食品の
過酸化脂質を除去する効果
「病気の90%は活性酸素が原因」といわれる活性酸素は、コレステロール(特にLDLコレステロール)の中の不飽和脂肪酸と結びつき、過酸化脂質を作ります。
この過酸化脂質諸悪が根源で、遺伝子DNA、細胞、臓器を痛めつけます。ここでは、「SOD様作用食品が血清中の過酸化脂質を除去する効果」の概略を述べます。 |
報告1 3ヶ月で過酸化脂質を40%も除去した
丹羽靭負(耕三)・土佐市水病院長
「現代文明人の健康維持・美容・老化防止とSOD様作用食品」
活性酸素とLDLコレステロールが結合して出来るか酸化脂質が、多くの病気を引き起こすことを述べてきましたが、ここではSOD様作用食品の過酸化脂質を除去する力についての研究報告です(なお、HDLコレステロールを取り除いてくれます)。
下表は、過酸化脂質値 5.5nmol/ml 以上の患者(46例)について、SOD様作用食品の投与を継続中の過酸化脂質地の平均の変動を示すものです。
SOD様作用食品の根本的な作用である血管壁に付着した過酸化脂質の除去効果は、血液流改善により関連したさまざまな病気が治った例として報告されていますが、これは、私のおこなった左表の血清化酸化脂質値の変動結果を見ても明らかです。
左表から、諸疾患を引き起こす血清中の過酸化脂質(nmol/ml)が、服用直後は 7.9 であったものが、3ヵ月後には 4.8 になり、約40%も激減していることが分かります。 |
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SOD様作用食品の比較 |
前項のように、いわゆるSOD様作用食品には、「天然の植物」、「ビタミン製剤」、「天然原材料のSOD様作用食品」などがありますが、これらを比較検討してみましょう。なお、「天然原材料のSSOD様作用食品については、「丹羽SOD様作用食品」と代表としました。
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編者コメント
1) 天然ビタミンと合成ビタミンの差異:「ビタミン・バイブル」の著者アール・ミンデルは、「合成されたビタミンは満足のいく効果を生み出すことは生み出すが、天然のビタミンから得られる利点は、あらゆる点からみて、遥かにそれ(合成ビタミン)をしのぐものである。合成と天然のビタミンを科学的に分析すればおなじ効果が出るかもしれない。だが、天然のビタミンにはそれにプラスされるものがある。なぜかというと、天然に存在するものには、合成にないものが含まれるからである。」としています。
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体内酸化を引き起こす
活性酸素
鉄が空気に触れ、赤く錆びることを酸化といいますが、おなじことは人体内部でも起きています。体内に産生した、活性酸素が人の組織を酸化させ、老化を始め癌、動脈硬化などの様々な生活習慣病を引き起こすのです。
シミ・シワ・老化にも関与
癌を誘発する要因は様々です。しかし、唯一共通する要因として、活性酸素の関与が指摘されています。
一方、化学物質、医薬品、添加物、排気ガスなどの汚染物質は、肝臓で分解=解毒されます。このときに、活性酸素を発生するものが発癌物質です。加齢と共に増えるシミ(老人斑)やシワは、皮膚組織が活性酸素によって酸化されることから増加します。このような酸化は、当然、心臓の筋肉や脳の細胞にも生じます。
脳の老化にも活性酸素は大きな影響を及ぼしています。歳を取ったネズミに活性酸素除去剤を投与すると、そのネズミの記憶力や体力が回復することも、実験で判明しています。
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活性酸素除去に欠かせない
『SOD酵素』
■抗酸化剤としての
SOD酵素
もともと、体内の免疫作用として有用な活性酸素です。過剰でなければ、人体に及ぼす悪影響は少ないのです。このことは逆に、すでに私たちの体には過剰な活性酸素の発生に対する機能も用意されているということでもあります。
たとえば、強い紫外線による刺激は有害な活性酸素を発生させる一因ですが、常に陽射しにさらされている植物はSOD酵素を体内に多く用意しています。
私たちの体内においても有害な活性酸素や過酸化脂質が発生すると、これらに対抗してSOD酵素が上昇します。これをSODの誘導能といいます。
問題はSOD誘導能
ところで、癌や老化が過剰な活性酸素により引き起こされることは、すでに通説ですが、癌にかかる人、かからない人、いつまでも若々しい人等、個人差はどのようにして生じるのでしょうか?
丹羽博士の研究によれば、一つには遺伝子の関係でSOD酵素の個人差が生じること、もう一つには四十歳を過ぎる頃からSOD誘導能が低下することがつきとめられています。
したがって、過剰な活性酸素による発症や老化に対しては、低下したSOD誘導能に代わってSOD酵素を補うことが、有効な対策となるのです。 SOD酵素と同じように、活性酸素を除去するのに有効な物質として、ビタミンCやEなどがあげられます。SOD醇素は大きな分子量(高分子抗酸化剤)ですが、ビタミンCやEは小さな分子量(低分子抗酸化剤)です。
低分子抗酸化剤であるビタミン類は体内で作られることなく、食物による摂取が必要になります。
ビタミン錠剤の限界
それでは、ビタミン剤を経口摂取すれば活性酸素は除去できるでしょうか?本来、体内に用意された物質ではありませんから、大量に摂取すると排出されてしまったり、工業的に合成されたビタミン類では、体内に取り込まれても活性が低いので、過剰に発生した活性酸素に対して、細胞の奥にまで潜りこんでの有用な働きは期待できないのです。
私たちが常食している野菜の中に含まれる抗酸化剤も、畑で採れたての新鮮なうちは活性も高いのですが、貯蔵・流通で時を経過するうちに活性は低くなります。また、大量に食べなければならないので、完全に補う量まで達することは困難に近いといえます。
そこで世界の有力製薬メーガーがこぞってSOD酵素の製剤化を目指しましたが、莫大な研究費を投じたにもかかわらず、いまだ目立った成果をあげていません。
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天然素材で副作用知らず!
科学的に証明された
SOD様作用食品
SOD酵素の製剤化が困難な理由は、高分子抗酸化剤のため、注射液にしても体内の必要な部位に到達できないこと、経口薬にしても腸管からの吸収が困難なことがあげられます。
また、工業的な合成では、前述のビタミン類と同じように活性の問題から、体内での有効な働きを期待することはできません。唯一、二十年余り前に、仏パリ物理化学研究所の生化学者ミッケルソン氏と丹羽博士が共同で、リポゾームSODの製剤化に成功しました。
残念ながら、その後の欧州の牛の伝染病に関する規制から、現在は製造されていません。
しかしこのときの薬効は著しく、当時は完治困難といわれていた多くの患者さんを苦しみから救出することに成功しました。
丹羽博士はこの経験をもとに、まったく別のアプローチでSOD酵素と同じ働きをするSOD様作用食品を開発しました。
丹羽博士の開発したSOD様作用食品は、ビタミンC・E・B、カロチンなどの抗酸化物質が豊富な杜伸抹茶・胚芽・大豆・ぬか・ハトムギ・柚子果汁・ゴマなど、天然の素材を原材料としています。
SOD様作用食品の加工法は、原材料の特質を損なわない加工法ですから、多くのビタミン製剤が、分離・抽出を経て化学合成品として製造されるのとは、まったく異なっています。
吸収を良くし、細胞の浸透膜を透過して目標に到達するよう、ビタミンの結合力を弱め低分子化することに、心を砕き考案されたものです。
SOD様作用食品は次の三つのプロセスを経て、完成していきます。
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遠赤外線焙煎 ▼ 「焼き芋」を焼くのと同様の方法です。摂氏98度を長時間維持することで焦げることなく、遠赤外線で中心部まで加熱します。 こうして堅い重合から開放されて、
フリーな活性型の杭酸化物質に生まれ変わります。 |
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こうじ発酵 ▼ 「お酒やお味噌」 と同様に「こうじ」を用います。これは加熱でも重合が解けなかった部分について、麹という生体の分解酵素を利用して、重合を完全に解く方法です。 |
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焙煎ゴマ油で油剤化 ▼ ゴマ油で包み組織に到達させます。界面活性の応用で、たとえば油汚れを落とすのに同じ油のヤシ油が有効なように、細胞膜の油親和性に着目した手法です。 |
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生体科学研究所も実証
SOD様作用食品の未来
私が開発した天然の抗酸化剤であるSOD様作用食品は、いま全国の何十万人、何百万人という方々に健康食品として愛用されています。何百人という医師にも医療現場で難病の患者さんに使っていただき、優れた治療効果をあげています。
この間、こういうことがありました。
私の遠縁に当たる知人に 薬学のエキスパートがいます。この知人が私の開発したSOD様作用食品に関心を持って、こんな提案をしてきたのです。
千葉に生体科学研究所というのがあります。そこでは体内に摂取した薬剤が本当に身体の中で病気が起こっている場所に到達し、そこで作用を発揮しているかどうかを、放射性同位元素を標識(ラベル)にして調べるのだそうです。アメリカ、ドイツ、フランスなどの欧米先進国で政府が医薬品として認可する際に、この研究所の検査結果を資料にするというふうに、世界的に権威が認められているということです。知人は私が開発したSOD様作用食品をそこに検定に出してみろというのです。
私はこのところ、医薬品として認可を得るといったことには、いささか意欲を失っていました。日本で一つの医薬品の認可を得るためには百憶円はかかります。そんなお金は私にはありません。それに認可を得るために、あれこれ
エネルギーを使わなければなりません。そんなことにエネルギーを取られるのは、もったいないような気がするのです。
私の開発したSOD様作用食品は愛用者が増えています。たくさんのお医者さんも効くと言って、喜んで使ってくれています。いいものはいいのです。それでいいではないか、という気持ちになっていたのでした。
しかし、知人が熱心に勧めます。あまり気乗りしませんでしたが、知人の進言に従ってSOD様作用食品を生体科学研究所に送りました。
一か月足らずで検定結果が送られてきました。そこには次のような趣旨のことが記されていました。
〈薬剤は消化器官内を酸化還元されて失活することなく通過し、また腸管から門脈を経て、肝臓で変化を受けることなく、腸管からリンパ管経由で動脈循環系へ取り込まれ、炎症の場に到達することが証明されました〉
人間とは現金なもので、いい結果が出ると欲が出てきます。生体科学研究所の検定結果は欧米では大変尊重され、いい検定結果の場合は割合、簡単に医薬品として認可されると言います。そこで私は作戦を練りました。私が開発した抗酸化剤であるSOD様作用食品と制癌剤を欧米に持っていって医薬品の認可を受けるのです。
欧米に弱いのは日本の常です。欧米で医薬品とした上で厚生労働省に認可を申請する。こうすれば、百億円を使わずとも厚生労働省認可の医薬品とすることができるのではないか。
今、その計画を推進しようかと思っているところです。
致知出版社刊 『医は仁術なり』 243頁より
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重症アトピーが
劇的に直ると注目の
「丹羽療法」とは
アトピー性皮膚炎は、20年ほど前までは難しい病気ではありませんでした。発症は小児に限られ、症状も軽く、小学校に入るまでには自然に治っていたものです。しかし現在、アトピー性皮膚炎の患者は急増し、病院を転々としたり、星の数ほどある民問療法を試したり、重症化、難病化の一途をたどっています。
レポート .医療ジャーナリスト 家田智代 |
アトピー激増の主因は
環境汚染と食生活の欧米化
アトピー性皮膚炎という病気に、いったいどのような変化が起こったのでしょうか。30年間この治療にたずさわり、病状の変化をつぶさに観察してきた土佐清水病院院長の丹羽耕三先生にお話をうかがいました。
「アトピー性皮膚炎の症状は、ここ十数年ですっかり様変わりしています。大きな変化は、患者数の激増と重症化。罹患、あるいは悪化年齢の高齢化。大都市、工業都市に移住した患者の増加。小さな変化は好発部位に関係のない病変の増加。季節の変化や食事、アレルゲンに関係のない患者の増加。
私が医者になった頃、アトピー性皮膚炎の患者さんは、就学前にほぼ全員が治癒していました。症状が出るのもひじ、ひざの内側、手首、足首だけでした。ところが今は学童、さらに成人までが発病しています。その症状も重く、全身の皮膚が赤く腫れあがり、強烈なかゆみで夜も眠れず、日常生活に支障をきたす人も少なくありません。
アトピー性皮膚炎は命に関わる病気ではなく、以前は自然に治っていたため、とかく軽く見られがちですが、現状の厳しさを認識して欲しいと思います」
このように思者数が激増し、症状が重いのは何が原因なのでしょうか。
「私は、アトピーの主因は活性酸素にあると長年主張してきました。活性酸素は体内にあるコレステロール、中性脂肪などの脂質と結びついてこれを酸化させ、過酸化脂質という有害な物質を作り出します。過酸化脂質は血管、臓器、皮膚組織に付着して生体に障害を与えます。
アトピー性皮膚炎の場合、体内に生じた過酸化脂質が皮膚の最上層である角質層にまで浸透して水分保湿機能を奪い、皮膚を異常に乾燥させているのです。その結果、弱った皮膚にかゆみが生じ、炎症にまで発展するのです。
活性酸素が過剰に発生する主因のひとつは、フロンガスの使用により大気中のオゾン
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層が破壊され、紫外線が増加したことにあります。紫外線を過度に浴びることは、体内での活性酸素の発生につながります。また農薬、食品添加物、工場の排煙や車の排気ガスなどの化学物質も、体内で活性酸素を発生させる原因になります。つまり、現代社会が生み出した環境汚染こそが重症化、難治化の大きな原因なのです」
環境汚染のため、体内で過剰に生産されるようになった活性酸素には、プラス面とマイナス面とがあります。活性酸素は、体内への細菌やウイルスなどの異物の侵入から、体を守る働きをします。ところが過剰に生産されると、体内の脂質を酸化させ、人体に有害な過酸化脂質を作り出してしまいます。
しかし人間の体はうまくできていて、通常はSOD(スーパー・オキサイド・ディスムターゼ)という物質を機能させ、過剰に生産された活性酸素を取り除いてくれます。ゆえに健康でいられるのです。
けれども体質的に活性酸素を取り除くシステムがうまく働かない(SOD誘導能が低い)人もいます。こういった人々は、環境汚染のため、体内に激増する活性酸素を処理しきれません。
さらに、欧米化した食生活のせいで不飽和脂肪酸の摂取量がふえたため、これに体内の活性酸素がどんどん結びつき、大量の過酸化脂質が作られます。それがアトピー性皮膚炎をはじめ、いろいろな病気を引き起こし、かつ症状の悪化に拍車をかけるのです。
「過去12年にわたって当院に入院した、500人余の重症アトピー性皮膚炎の患者さんの血液を調べたところ、対照群の 健康な人たちと比べて、過酸化脂質値が異常に高いという結果が出ました。しかも症状が重いほど、過酸化脂質値も高いのです。
つまり、体質的に乾燥傾向を持つ人の皮膚に、過酸化脂質が付着して、アトピー性皮膚炎が引き起こされます。そのうえ、やはり体質的にSOD誘導能が低い場合、過酸化脂質が激増して症状の悪化を招くわけです」(丹羽先生)
以前なら発症しなかった、あるいは消失していたアトピー性皮膚炎が治らない病気になってしまったのは、急速に進んだ環境汚染と食生活の欧米化に、人間が本来持つ自然治癒力が追いつかなくなったせいでした。
アトピー以外の難病にも
SOD様作用食品の実力
丹羽先生の土佐清水病院には、重症思者が連日訪れています。強力なステロイドなどの処方でボロボロになった皮膚と、強力なかゆみに日常生活すら満足に送れない重症アトピー性皮膚炎の患者さん |
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を、先生は次々と完治させてきました。
その治癒率、実に99%。子供なら4,5日、成人で1,2週間という短期間の入院で症状が軽快しています。そんな土佐清水病院の治療法は
@内服(SOD様作用食品)
A軟膏塗布(AOAエキス)
B食事指導の3つが犬きな柱となっています。なかでもSOD様作用食品は入院患者でなくても手軽に購入でき、家で手軽に内服できるのが嬉しい。
アトピー性皮膚炎は、過剰に発生した活性酸素を取り除く、SOD誘導能が低小ため発症、重症化します。そこで、SODと同じ働きをする物質(SOD様作用食品)を補って症状の悪化を止め、自然治癒力が発揮されるように促すのです。
「これに加え、うちの病院ではSOD様作用効果のある、南アフリカ原産のルイボスティーというお茶の粉末を毎日飲んでもらいます。入院されなくてもこれだけで症状が改善されるケースもあります。以前、重症の患者さんに入院を勧めたところ、どうしても仕事の都合上2週間後でないと入院できないということで、せめてそれまでの間、SOD様作用食品とルイボスティーを飲むよう勧めたんです。そうして2週間後、その患者さんが入院する為にいらしたんですが、入院の必要がないくらいに治っていたんです。僕も、こんな軽症の人に入院を勧めたんだろうかと、わが目を疑いましたね(笑)。この人は毎日きちんとSOD様作用食品とルイボスティーiの粉末を飲み、食事指導を受け(表-参照)、注意をはらっていたんですね。これは特殊な例ではありません」
このSOD様作用食品は、アトピー性皮膚炎だけでなく、関節リウマチ、レイノー病、べーチェット病などの難病、および肝炎、糖尿病、脳卒中、癌の治療、再発予防や後遺症の回復などに目をみはるような効果があったことが、日本のみならず海外での学会でも逐次報告されているのです。
「丹羽療法 全国のアトピー患者が信頼するこれだけの理由」 リヨン社刊
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総合医療の2大巨頭
土佐清水病院長 |
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帯津三敬病院名誉会長
日本ホリスティック協会会長 |
丹羽靭負(耕三) |
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帯津良一 |
司会進行
長瀬雅之
ジェナー動物クリニック院長 丹羽メディカル研究所所長
写真
小野寺広信
西洋医療だけでも
代替医療だけでもない
人間を身体だけでなく
精神までオールラウンドに支える
真の統合医療へ
ビタミン錠剤の限界
本当にここ数年のことである。さまざまなメディアから代替医療、ホリスティック医療、というような医療を多方面から広角的にとらえた治療法の文字が発信されるようになったのは。
しかし、今回ここに登場のお2人は、実に25年以上、4半世紀も前から西洋医学の限界を察知し、独自の統合医療の道を探り、研究臨床を重ねてきた。2人は偶然にも同世代。西の京大医学部、東の東大医学部。日本の医学の最高峰から生まれた逸材が、いま、ここに初めて対面し、医療の根源、未来について熱く語り合った。
(東京にて 2006年 7月)
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ずっと前からお名前は聞いていて、ようやく会えましたね
丹羽 ようやくお会いできましたね。もう何年も前からお名前は。
帯津 私もそうですよ。先生の本は拝見させてもらってますし、SOD様作用食品はうちの患者さんも時々使いたいと持ってくるんですよ。もちろん、どんどん使いなさいと(笑)。
丹羽 それはそれは。僕も先生の病院に患者さんをお願いしたりしていますから。先生はオペ(手術)はいつまでやってらしたんです?
帯津 今の病院でやらなくなって5年くらいです。若手が今はやっていますから、もうオペ室に入ることはなくなりましたね。
丹羽 そうですよね。分かります。ベッドはどれくらい?
帯津 99床です。一般病棟で。
丹羽 ドクターは?
帯津 6,7人で、パート・ドクターが毎日2,3人いますね。
丹羽 だいたいうちと同じくらいですね。僕はそれに加えて診療所が全国10ヶ所くらいにあって、毎月そこに不定期に行っているんです。各地にひとりずつドクターを置いているんで、月いちで行って気合を入れてくるわけです(笑)。
帯津 それはすごい。よく身体が持ちますね。
丹羽 そういうのがエネルギーの素になるんですよ(笑)。先生も講演されているでしよ。
帯津 僕はほとんど日帰りで、週いちくらいの割合でやってます。泊まりは沖縄だけですね。泡盛がうまいから(笑)。飲まないと沖縄に行った気がしないんですよね(笑)。
丹羽 お酒、お好きですか?何を飲まれます?
帯津 なんでも(笑)。だいたいビールを飲んで、そのあとは焼酎やウイスキーの水割りを。
丹羽 しもたー!僕ね、3日前にスコットランドから帰ってきたとこなんですよ。学会で行っていたんですが、あっちに行くと15年もの、25年もののスコッチがあるんです。ああ、そんなに先生がお好きやったらお土産に買ってくるんやったなー。
健康法は気功と夜の一杯(帯津) 野球で毎晩バツトの素振り (丹羽)
丹羽 先生は何か特別な健康法とかされてるんですか?
帯津 あまり特別なことはしないんですが、毎日患者さんと気功をやっていますね。あとは夜一杯、飲むこと(笑)。これが健康法ですね。丹羽先生は?
丹羽 僕は野球をやっているんです。高校時代に野球部だったんですよ。でも大学に入ってからはずっと勉強ばっかり。ここ40年くらいは毎日必ず2,3キロ走っていたんですけど、それだけではつまらなくて野球をまた始めたんです。200人くらい従業員がいると、なかには野球をやっていたヤツがいたりしてチームを作った。そうすると勝ちたくなって軟式野球連盟に入って、地区大会などにも出ているんですわ。そうしたらノンプロの選手が入ってきたりしてだんだん強くなってきて、国体に出てやろうというのが今の野望ですわ(笑)。
僕、サードで1番を打ってますからね。毎日、大汗かきますわ。寝る前はどんなに疲れていてもバットを100回素振りする。
全員 ええ-つ!!
丹羽 僕ね、老人ボケは定年退職が原因だと思う。無理に働かない、頭使わない、動かない。そらもうボケますよ。年をとればとるほど頭を使って体を動かして汗を流さないと。ゴルフはあかん。あれは止まっているボールを打つでしょ?野球は130キロ近くのスピードで飛んでくるボールをバットでスイングするでしょ?コンマ何秒かでヒットになるかならないかが決まる。瞬発力と動体視力が養われる。だから野球をやっていたら絶対にアルツハイマーに
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ならない。僕が知っているなかで一番の薬ですわ(笑)。
医師としてのエリート街道をはずれ
独自の病院開業へのみちのり
長瀬 お二人はどのような経緯で今の病院を開業されたんでしようか。
丹羽 僕は子供の頃、身体が弱くて、そのうえ学生時代に勉強しすぎたのもあって、ものすごく体調を悪くしたんです。それで、子供の頃に疎開したとき元気になったのを思い出して、土佐に行ったんです。そしたら元気になるし、医者がいないからっていうんで診療していたらどんどん患者さんが増えて、そろそろ都会に帰ろうかと思ったら、市のほうから、土地を提供するから病院を開業してくれと頼まれて、それで開業したわけです。空気がいいから研究所もいっしょに作って、そのうちに全国に診療所ができて、あっちこっち行くようになったんです。
帯津 最初は保険診療だったんですか?
丹羽 そうなんです。ところが田舎というのはひがみやっかみがすごい。僕はゴルフもせんし、お酒も付き合わない。そんな時間あるくらいなら研究していたい。周りのお医者さんにしたら、僕がまじめに診療したり、論文を発表したりしているのが気に食わなかったんですね。それはもうあの手この手でつぶしに合いました。果ては厚生省やら代議士まで出てくるくらいエスカレートしてね、そんなときに息子が小児ガンで7歳で亡くなった。それを機に、もう副作用で苦しむだけの抗がん剤はやめや。白分で薬も開発して、自由診療でやっていくからもういいと、開きなおったんです。帯津先生は東大派閥だし、都会でやっておられるからそういうやっかみには合わないでしょ。うらやましい。
長瀬 帯津先生はずっと都立駒込病院でおやりになっていて、どうして病院を開業しようと?
帯津 駒込でやっていたときに西洋医学というか手術に限界を感じたんです。それで中国医学に目をつけて、そっちでがん治療をしようとしたんですが国内で教えを請う人がいなくて、それで中国に行かせてもらったんです。そこで気功に出会い、駒込に帰ってからやろうとしたんですが誰も相手にしてくれない。だい |
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たい患者さんが相手にしてくれないんです(笑)。で、やめようと思ったんですがなんかいつかこういうのが使える時代になるという予感がして、それなら大きい組織で不自由を感じながらやるより、自分がお山の大将になって“俺がやる!”といったらできるような組織を作ったほうがいいと。
統合医療とはしっかりした
西洋医療あって
初めて成り立つもの
長瀬 先生方は天然のものを使って治療する意義というのはあると考えていらっしゃるわけで、僕は今、丹羽先生と一緒に開発しているお薬を使っているんですが、確かにワンちゃんに使っても副作用がないんです。もちろんがんが完全に治るとは言いませんが、少なくとも副作用はないしエネルギーも維持できる。
丹羽 抗がん剤使っていたら3ヶ月で死ぬところを半年、1年、苦しまずに逝ける。
帯津 なんといってもそれがいいですよね。
丹羽 気功もよく効く。僕がいま病院でマグニー石というのを使つて岩盤浴治療しているんですが、あれも気功と同じ原理で石の持ってる波動の力。人間も凄い人はホントに凄い。僕は以前、アメリカの医学雑誌に書いた遠赤外線の論文に、ジーザスクライスト・イズ・ア・グレート・キコウシと書いたんです。キリストは偉大な気功師だと。
帯津 その通りだと思いますよ。
丹羽 あとね、育成光線(特殊な遠赤外線)は、正常な細胞のアクティビティはむちゃくちゃ上がるけど、がんの上げてはいけないアクティビティは下げる。これが科学薬品と違うところですね。抗がん剤は、がんは叩くけど正常な細胞も叩いてしまう。冬虫夏草やびわの種も、中国のほんとうにいいものを使ったら効きますね。ぼくもこの年になるといろんなことがわかってくる。帯津先生もそうだと思うんですが、生薬は確かにいい。僕も白分の開発したものをメインに使っている。しかし、今の漢方のお医者さんの一番悪いところは西洋治療を全面的に拒否するところや。CTスキャンや検査は副作用のない範囲でやるべきやね。ちゃんと症状を確認してから治療しないと。肺炎を起こし
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たらやっぱり抗生物質を投与しないと、年寄りなんか死んでしまう。漢方なんかそんなのにはまったく効かない。もうね、そのことに関しては頭が固い、選択肢が狭い。
長瀬 漢方、ホメオパシー、フラワーレメディなどをやっている人はストイックになってその事ひとつに集中する傾向がありますよね。
帯津 そうですね。西洋医学をまったく拒絶してしまうのは良くないですね。私はいつも言っているんですが、西洋医学がしっかりしていないと統合医学にはならないという事。がんの患者さんがいくら西洋医学以外でやるといっても、閉塞性黄疸になったり胸水や腹水がたまったりすると年中、刺して抜かなきゃなんない。これはエキスパートがやらないと。ですからうちの西洋医学はしっかりしていますよ。抗がん剤も使うときは使いますし。
丹羽 うちもそれはいっしょです。で、抗がん剤は自由診療だと高いから、知り合いの医者のところに行ってもらって保険で使ってもらうようにしたりしてます。うちの息子が千葉大学のガンセンターで医者としてやってまして、ずっと僕のことを馬鹿にしてたんです。ところがガンセンターと丹羽療法を掛け持ちしている患者さんがどんどん治るものだから、とうとう頭を下げて、去年ガンセンターから僕のところに来たんです。こいつがやっぱり11年もガンセンターにいたものだから乳がんの肺転移、肝臓転移、胃がん、肺がんなどは放っておいたら1年で死ぬところを抗がん剤で1年半から2年生きるというので、ばんばん使うんです。それで僕といつもケンカです。抗がん剤使ってうまいもんろくに食べられず、ゲーゲー苦しんで死ぬのなら、わしはうまいもん食べてニコニコして1年で死ぬ方を選ぶって。僕は延命効果が1年くらいのものには使わない。5年とかになったら使う。
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生涯現役。10年後の夢は診療
しながらパタリと逝くこと
長瀬 いちばん気をつけなきゃいけないのは、やっぱりなんといっても西洋とのバランスですよね。
丹羽 そう。日本は西洋医学がしっかりしているからこそこういう事が言えるしできるんです。
長瀬 となると、中国や中医学だけの方はどのようにしているんでしょうか?
帯津 うーん、それがね、日本の医師免許を持っていて中医学専門にやっている人たちはまだいいと思うんですが、そうでない、針灸専門の人など中医学だけの人が中国から相当来てて、こういう人たちが西洋医学はやらないほうがいいという事を平気で言うんですね。これが艮くないです。患者さんの選択肢を奪ってかえって悪化させちゃう。
長瀬 CTや血液生化学検査をしないで、ほとんどが脈をとって霊視のような事で判断するわけですからなかなか怖いものがありますよね。
帯津 やはり全体を診ることが大事で、ホメオパシーでも少しかじるとこれに没頭して天下をとったような気になって、すべてをホメオパシーで片付けようとするんです。そうじゃなく、ちゃんと西洋医学も、中医学も頭の中に置いてのホメオパシーなんですよね。
丹羽 先生のところは音楽療法もやってらっしゃるし、太極拳もやる。腹式呼吸は副交感神経を刺激するからいいんですよ。そうやっていろんな事を組み合わせているから効いてる。本当にいい医者はひとつだけじゃなく、いろんな事を組合せている。それが統合医療というものです。そして、西洋医療のいいところだけ持ってくる。それがホントの医療。
帯津 本当にそう思いますね。いや、丹羽先生は私が想像していた以上に楽しくていい先生ですね(笑)。
丹羽 こちらこそ、今まで会わなかったのが不思議なくらい。これからはいろいろ協力し合っていきましょう。うちの患者さんもお願いしますから、紹介状書いたら優先的に(笑)。
帯津 丹羽先生の頼みなら聞かないわけにはいかないですよ(笑)。
長瀬 最後におふたりの10年後の夢はなんですか?
帯津 今の道を行く事ですかね。成功しなくてもいいからどんどん行く事(笑)。そこに向かっていく事に意味があると。
丹羽 まったくいっしょですわ。何が待っているかわからないけど、突き進んでいく。人生、それがロマンですよ。
長瀬 では生涯現役ですか?
帯津 もちろん。現役で倒れて死ぬと。
丹羽 うまいものを食べて、 診察しながらコロっと死ぬ(笑)。
帯津 同じです(笑)。
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月のうち半分は寝込むほどの体質が
SODで生まれ変わった
長野県 28歳 女性 Aさん
子供の頃から虚弱体質で疲れやすく、病気がちだったAさん。思春期になるとその体質に生理痛が加わり、動けなくなるくらい酷かった。また、足の裏などが絶えずひび割れている状態で、痛くて足に力を入れたり、走ったりする事もできなかった。
「排卵痛と生理痛で、月のうち半分はお腹が痛く、生理中の3日間はいつも寝込んでいました。とにかく、痛みでじっとしていられなくてのたうち回っていたんです。それに加えて疲れやすい体質で、身体におもりがついているんじゃないかと思うくらい身体が重くなるんです。体育会系の元気な友人たちがうらやましかったですね」
普通、そこまで体調が悪いと産婦人科に行って相談するものだが、羞恥心のほうが勝っていた高校生という年頃の彼女にとって、産婦人科で検診するという事自体に大きな抵抗感があった。
「恥ずかしいのと怖いのとで、ずっと我慢していたんです」
そうして10年。結婚、妊娠というときになってようやく産婦人科の先生に診てもらった。25歳のこと。
「卵巣膿腫になっているから手術しないといけない、と言われたんです。もともと子宮内膜症が原因で生理痛がひどく、その内膜症が膿んでひどくなっているから手術をしないといけない。お腹の子供も危険だ、というような事を言われたんです」
ここ10年の間に医者と患者の関係は急速に変化している。昔はセカンドオピニオンなんかとんでもないと言われ、医者の言う事に反論できない雰囲気だった。今は、インフオームドコンセント(治療の内容などに対して十分な説明を受け、患者側がそれを理解したうえで同意すること)、セカンドオピニオンは当たり前になってきた。彼女も開腹手術という性急な判断に疑問を感じ、セカンドオピニオンを試みた。
「別の病院に行ったら、お腹を開くなんてとんでもない。様子をみて、悪化するようなら考えようと言われ、そのまましばらくしているうちにほんとに腫瘍が小さくなり、無事、出産する事が出来たんです」
とは言え、虚弱体質と生理痛、ひび割れが治ったわけではなく、月のうち半分は育児、家事を実家の母親にお願いしなければならない状態だった。
「あんまり頻繁に子供をあずけていたので、子供はおばあちゃんの家が自分の家だと思っていたんじゃないかしら(笑)」
そんなときに整体の先生からSODを勧められた。
「うちは母も具合が良くないもので、親子そろって昔から健康食品には目がないというか、いいと言われたらとりあえず試すんです。だからSODもそんな調子で試したんです。飲み始めて3ヶ月くらいしてからかな。気づいたら、あれ?という事が増えていくんです。例えば、いつも寝込んでいたのに今月は起きていられる。身体が重くない。保湿クリームを毎日塗っていたのに治らなかったひび割れが治っている。という感じ」
1日3袋。生理痛がひどいときは5袋、これを欠かさず続けたAさん。飲み始めて2年が過ぎた。その間、丹羽先生の本を何冊も読み、会報や冊子、チラシなども隅々まで目を通し、今ではすっかりSOD通。
「はじめのうちはSODのおかげというのに気づかなかったんですが、2,3日飲まないと調子が悪くなるので、あ、これはやっぱりSODのおかげだって。子宮内膜症にはSODとめかぶや生わかめがい
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いですよ。ええ、SODは一生続けます。ほんとうにSODを開発してくださってありがとうございます。感謝してもしきれないくらいです」
めかぶとわかめを組み合わせるとはさすがです。ありがとうございます。これからもお元気な家庭を。
1年前、日本SOD研究会報の93号の愛飲者インタビューに登場していただいた、長野県にお住まいのAさん(29歳)から、その後のおはがきをいただきました。
「SODのマイルドタイプをずっと愛用していましたが、半分はレギュラーにしてみようと思い、1日4包のうち2本づつマイルドとレギュラーを飲み始めました。
子宮頸癌の疑いが出てから、半年に一度がん検診を受けています。この9月にも半年ぶりの検診を受けました。そうしたら、前回のクラスUからクラスTになり(注2
クラス分けについて欄外に)、細胞の癌化が完全になくなりました。マイルドタイプだけ飲んでいたときも、クラスVからクラスUにはなりましたが、ここ2年くらいずっとクラスUのままでした。それがクラスTになったのは、おそらく半年くらい前からレギュラータイプを飲み始めたからだと思います。おかげで良い結果が出ました!ありがとうございます。
改めてSODはすごいと思いました」
良かったですね。私たちも嬉しいです。わざわざおはがきありがとうございました。
※注2 子宮頸癌のクラス分けについて
クラスT まったく正常
クラスU まったく正常ではないが反応性の可能性あり(感染症など)
クラス皿a 軽度、または中度異形成と呼ばれる状態。ほとんどは癌化しないが、経過観察の必要あり
クラス皿b 高度異形成と呼ばれ癌化する可能性が高く、経過観察の必要あり
クラスW 上皮内癌。初期の癌
「先生きれいになったね!」
と生徒から言われ気づいたSOD効果
群馬県 24歳 女性 I さん
身体がだるい、疲れやすい、肩が鉛のように重い、腰が痛い。彼女が典型的な職業病に脳まされるようになったのは、教師という仕事についてすぐの事だった。職業柄、パソコンに向かう事が多く、同じ姿勢のまま何時間も椅子に座る毎日。気づいたときには
肩も腰もガチガチ。
そんな彼女が偶然出会ったのが、同じ群馬県ながら自宅からは車で1時間半もかかる「○○接骨院」だ。近所にもマッサージや整体の治療院はいくつかあったが、どれも評判はいまいち。マッサージしてもらった瞬間は気持ちいい
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けど、すぐに元に戻る、というよくあるパターンだった。しかし「○○接骨院」の評判は違った。母親の知り合いの話によると、とにかく根本から治してくれる、骨のゆがみだけでなく、病気全般までも治してくれるという。
「子供の頃にアトピー性皮膚炎にもなった事があったし、元々そんなに健康ではなかったので、そういう治療院なら行く意昧があると思って、母と通い始めたんです」
昨年(平成18年)の春のこと。
先生いわく、 「足の背部や腰あたりにアトピーの名残のくろずみがあり、皮膚全体もくすみ、長年アトピーに苦労された事が伺えましたから、まず皮膚の改善として体内から毒素を出してしまうことが犬事だなと思い、チャーガをお勧めしました」
骨の治療、肩の治療と並行して飲み始めたチャーガ。その効果は早くも2ヵ月後に現われた。
「うちに来るたびに皮膚の黒ずみが薄くなっていって、さすがに若いと効果も早いなと驚いていたんです」
K先生も喜んでいた。ところが、5月に行われた学校の健康診断で、貧血が酷いから再検査という新たな病気が発覚。
「どうも疲れやすいなと思っていたら貧血。やむなく病院で診察を受けたら、即、輸血され、鉄分補給薬を出されたんです。それを毎日飲み始めたら、今度は気持ちが悪くなって、明らかに病院の薬が身体に合わないのが分かるんです」
再びK先生に相談したのが6月末のこと。そのときに先生が「これ飲んでみるか」と言って勧めてくれたのがSODだった。とにかくこの体調の悪さ、貧血をなんとかしたくて、藁をもつかむ思いで飲み始めたSOD。最初は1日に6袋を3ヶ月間ずっと飲み続けたのだった。
「学校がちょうど夏休みに入った時期だったので、自分ではあまり気づかなかったんですけど、9月に学校に行くと、まず先生たちから、あれ?綺麗になったんじゃない?肌が綺麗になったのかな?と口々に声をかけられたんです。さらに生徒からも、先生綺麗になったね(笑)」
もともと3年前の「ミス館林」でもある I さん。灰かぶり姫じゃないけど、くすんだ肌のせいで気づかれなかったけれど、くすみが取れて本来の美貌が前面に出ただけの事。同時に貧血からくるだるさもなくなっていた。これまでなら仕事を終えて家に帰ると夕方の7時なのにもうバタンキュー。そのままベッドに倒れこんでいたのに、2学期は残業して夜9時に帰っても平気でいられた。
「気づいたら、何から何まで変わっていたんです。足や腰にあったシミも消えているし、毎年コタツの季節になるとコタツでうたた寝をして必ず風邪を引いていたんですけど、この冬はまだ風邪を引いてないんです。回りはみんな風邪引いているのに」
その勢いで再度病院に行って貧血の検査をしてもらったら、ものの見事に数値が平常に戻っていた。(表参照)担当の医師はしきりと首をひねりながら
「薬を飲んでなくて治るわけがないのに…」 とつぶやいたという。また、彼女と同じ貧血で、1年間も薬を飲んでいるのに治らないという看護婦さんもビックリしていた。
「その看護婦さんにSODを教えてあげたかったけど、先生もいらしたからいえなかったです。人に勧めるのって難しいですよね。ホントは学校の先生たちみんなにも勧めたいのに。だって、みんな、ものすごく疲れていらっしゃるんですもの。私はSODに救われたと思っていますから。SODがなかったら今頃、倒れていたでしょうね。学校の先生という仕事も続けていられなかったかもしれません。
今は、平日に4袋、休日に2袋、飲んでいますが、学校 |
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はもちろん、何処に行くにもSODは必ず持って出かけます。心からSODとK先生に感謝です」 と輝くような笑顔で話してくれたIさん。群馬の冷たい風にも負けずI元気そのもの。同僚や先輩からは「Iさんはいつも活き活きしてるなー」と言われるようになったことが嬉しいという。
K先生も
「SODが効かなかったら、大宮で丹羽先生の治療を受けるように勧めようと思っていたんですが、SODのおかげでその必要はまったくなくなりましたね。美人薄命にならなくて僕もホッとしていますよ(笑)」
すべては信頼できる先生との二人三脚から始まったSODとの山会い。 私立の高校で英語の教師として忙しい日々を送るIさん。将来の目標に向かって今も勉強中だとか。才色兼備とはまさに彼女のためにある言葉かもしれない。
ステロイドとホルモン剤投与で悪化
仕事も外出もできない状態に
奈良県 38歳 女性 N さん
SOD研究会報でも特集した事のある難病のひとつ、潰瘍性大腸炎。その病にかかり、大変な思いをされたのが奈良県にお住まいのNさんです。
子供のときから好き嫌いが激しく、偏った食生活を送ってきたうえに、無理なダイエットを繰り返していたNさん。20代の頃はそれでも風邪をひきやすいくらいで乗り切ってきた。それが乗り切れなくなったのが5年前のこと。
「まだ結婚していなくて実家の大阪に住んでいたとき、トイレに行くと、白い粘液が出始めたんです。なんなんだろうと気にしていたら、腸にガスが溜まり、頻繁にガスが出るようになったんです。腸の全部がガスで埋まっているような感覚で、10分おきにトイレに駆け込むような状態になったんです。仕事が美容師で、実家の美容院を手伝っていたので、家と仕事場が隣同士という環境だったからまだ仕事ができたけど、普通のお勤めの仕事だったらとても勤まらなかったでしょうね」
さすがにこれは普通ではないと感じ、大学病院に駆け込んだ。そこで下された診断が“潰瘍性大腸炎”という聞き慣れない名前の病気だった。
この病気は、大腸の粘膜の最も内側の層にびらんや潰瘍ができ、下痢や粘血便(血液や粘液、膿などが混じった便)といった症状が出る病気。進行すると大腸だけでなく、そのほかの消化器官の粘膜にも炎症が起こり“クローン氏病”に進化する。原因はいまだ不明とされている難病で、治療法もステロイドなどの化学療法で抑えるだけ。
彼女も強いステロイドを処 |
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方されたおかげで、症状は一気に回復した。難病と言われても、こんなに早く回復するんだから大したことなかったんだと思い、その後2年近く放ったらかしにしていた。
そして結婚と同時に奈良に移り住み、美容師として仕事に励み、そろそろ子供をと思い始めた。しかし、なかなか妊娠できない。そこで、不妊治療の一環としてホルモン治療を始めた。そうしたら、これがキッカケでまた大腸に異変が起こったのだった。
「今度は奈良の有名な大腸専門の病院にかかり、ペンタサというステロイドよりも副作用の少ない飲み薬を処方されました。加えて、腸に直接ステロイドを涜腸するように注入してもらい、一時は良くなったんです。でも、良くなったように感じるだけで、酢の物や香辛料、野菜などの繊維質を摂ると、すぐに元に戻ってしまうんです」
ここからは、悪化してはステロイド投薬の繰り返し。しかも、症状はどんどん悪化していくばかり。酷いときは便器が血で真っ赤になるほどの血便で、体力もどんどん落ちていったという。SODとの出会いはそんなさなかの事だった。
「美容室に営業の方からお電話をいただいて、何か体のことで困っている事などはないかと聞かれたんです。普通ならそういったセールスの話などはあまり相手にしないんですが、なんかそのときはあまりにもつらくてつい病気の話をしたんです。そうしたら、愛用者の人の中にも同じ病気の人がいて、劇的に治った例があると言われれ、資料を送ってもらい、その体験談を読んだんです」
藁をもつかむ思いと、直感、出会いが重なり、彼女がSODを飲み始めたのが今年の2月の事。
「すごいんです。本当に、飲み始めて3日くらいで粘液が出なくなったんです。お腹もまったく痛くなくなって、1週問くらいで出血もなくなったんです。びっくりでした。
なんでもSODは腸壁から直接リンパに吸収されるから腸の疾患にものすごく効くんですね。そういう事もラッキーだったと思います」
その後、どんどん症状が回復し、以前はすぐにトイレに駆け込む生活で、怖くて外出もできなかったのが、今では従来の普通の生活ができるようになった。病院から処方されていたペンタサも、飲む量がどんどん減り、飲むのを忘れる日があった。
「周囲や主人は、薬は飲まないといつ再発するか分からないから飲めっていうんですが、どうもステロイドを含め、お薬で治るという感覚が持てないんです。だから、今はまったくそのへんの薬は飲んでいなくて、SODのみです」
ペンタサという薬は「TOPNETの薬のしおり」によると
「この薬は小腸、大腸の炎症をおさえ、潰瘍性大腸炎やクローン病の下痢や血便の症状を改善したり再発を防ぐ働きがあります。しかし、この薬は病気の原因そのものを治すものではありません」
と書かれているように、Nさんの直感は正しかった事になる。
「あと、お客さんがいらっしゃる仕事で、やはり風邪の季節はいろんな人から風邪をもらう事が多かったんですが、SOD飲み始めてからは風邪を引いたかなと思った夜に、いつもより多めの4包くらいSODを飲んで寝ると、翌日には回復しているんです。本当に丈夫になったなと実感しています」
丹羽博士によると、この潰瘍性大腸炎は、欧米に多く見られ、博士が学生だった50年ほど前の日本では、ほとんど見られなかった病気だという。 「環境汚染とホルモンづけになった肉乳製品を食べる食生活が増えたせいで、こういった難病患者が日本でも激増しているんです」
西洋治療では根本治療の特効薬はなく、一生治らない病気とも言われているが、欧米では治療の研究が盛んに行われている。 |
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「今はお友達とお買い物や食事にも出かけられるようになって本当に嬉しい限りです」
毎日が楽しいとおっしゃるNさん。Nさんの劇的な治癒が、Nさんがかつてそうだったように、同じ病気で苦しまれている方の励みになれば幸です。
28年に及ぶご子息Hさん母Nさんのアトピーとの闘い
東京都 28歳 男性 H さん
編集部にある日、ひとりの女性から一通の分厚い封書が屈きました。開いてみると、そこには28年間にも及ぶご子息の壮絶なアトピー闘病の模様が綴られていました。そして最後には、
「丹羽先生の診察を受けるようになり劇的に良くなっています。これから高知の土佐清水病院に入院することになりました。その結果を含め、またお手紙を書かせていただきます。自分の目で土佐清水病院を見てきます」
と書かれていました。
それがNさんからいただい た最初のお手紙でした。
私たちは即座に、取材させていただこうと手紙を出しました。すると、しばらくしてNさんから土佐清水の消印のついたお手紙が届きました。
「ご無沙汰しております。お返事しようとは思いましたが、ひとつだけわからない点がありましたので、それを確かめてからと思っておりました。今回、それがようやくわかりましたのでお便りしました。
それは、現代医療の対処療法のことです。現代の医療では病気の症状が薬などで治ったようにみえても、それは対処療法でしかないのです。一時的なものにすぎません。時間が経過すれば症状はまた現れます。そして時間の経過とともに薬の副作用で、従来の病気に加えて新たな病気が発症します。そうなると患者も病院内の複数の科を行ったり来たり。
そんな中、丹羽先生の治療方針がとても正しい治療だという事がわかりました。それは患者の体を健康にしながら病気を治していくという治療でした。この事を自分の目で確かめたので、東京に戻りましたらお話させていただきたいと思います」
彼女とご子息のHさんが土佐清水で何を体験し、何を発見してきたのか、私たちは期待を持ちながら連絡をお待ちしていました。そしてようやくお会いしたのが4月のこと。
お母さんの肌はどうしてきれいなの? と言われ返す言葉がなかった
待ち合わせの場所にいらしたNさんは、颯爽としていて、ピリっとスパイスの効いた聡明な瞳の持ち主でした。
息子さんとの28年にも及ぶ壮絶なアトピーとの闘い。彼女はその話をものすごく客観的に、冷静に語り始めました。
−−息子さんにアトピーが発症したのはいつ頃からですか?
「生後1ヶ月からです。主人が鼻炎で、兄の息子は喘息で |
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すから、多分に遺伝だと思うのですが近所のお医者さんにかかり、生後1ヶ月からステロイドを塗っていました。とにかくかゆいらしく、ずっと掻いて、シーツはいつも血だらけ。だから眠りの浅い子でした」
−−それは母子ともにストレスでしたね。小学校に入ってからも?
「ええ、ずっとというか、ますますひどくなり、皮膚が象のように硬く、ゴワゴワして、人間の皮膚じゃなかったです。他の生徒から気持ち悪いと言われたり、親御さんからうつるんじゃないかとも言われました」
−−それはさぞや辛かったでしよう。
「いえ、一番辛かったのは息子が"お母さんの肌はなんでそんなに縞麗なの?“と聞いたときでした。そのときばかりは答えられなくて、思わず息子を抱きしめました」
−−ステロイドの副作用は?
「始めると視力が落ちるんです。ステロイドをやめると回復するんですが、戻すとすぐに落ちる。さらに成長ホルモンにも影響し、成長も他の子に比べると遅かったですね」
中学、高校時代は症状が比較的落ち着き、Nさんはこのまま治ってほしいと祈りながら時をすごしていた。しかし、その祈りは、大学受験というストレスのかかる時期にもろくも崩れた。
「またステロイド生活に戻り、受験が終わり、ステロイドをやめたとたんに今度はリバウンドがきたんです。それはそれはひどかったです。耳たぶからも血が出て、それがかさぶたになると、その割れ目から黄色い汁が出る。顔全体からも。まるで被爆したケロイドのようでした」
ステロイドに限らず、劇的に効く薬は使い続けると必ず副作用がやってくる。これは丹羽先生がいつも言っている事だ。もちろん、丹羽先生に限らず、統合医療を押し進める医師たちも言っている。
「ガーゼを取ると肉もいっしょにはがれ落ち、お風呂もドロドロ。化膿した皮膚にマキュロンのような市販の消毒薬をつけることしか対処の仕方がわからなかった。この頃には息子はもう寝たきりで、トイレにも這って行くような有様でした」
“ステロイドは安心” 平然という○○病院
あげくの果ては手に負えないと言われ
−−病院はどこに?
「ずっと近所の皮膚科にかかっていたんです。ダニが原因かもしれないと言われて、アトピー布団という、5万円もするダニやほこりがつかない医療用の布団も買ったし、家中のダニ検査もしてもらったんですが、ダニなんか一匹もいなかった。アトピーの原因にダニもほこりもなんにも関係ないんですよ。近所の医者はもう信用できないって思いました」
−−次にどちらに?
「やはり日本の医学の最高峰だという大学病院に行きました。でも、まったく駄目ですね。医学書に書いてあることしか言わない。アトピーならステロイド。重度なら放射線ですよ。放射線といったって、皮膚のあざやほくろなどを取り除くために照射するレーザーのこと。それをアトピーに照射するんです。いくら皮膚がぼろぼろであざのように黒ずんでいても、これはあざではないことくらい素人にも分かりますよ」
−−それを放射されたんですか?
「全身に。そうしたら皮膚がよけいにぼろぼろでガサガサになったんです。しかも、ステロイドを処方されて目の前で痙撃しているのに、ステロイドは副作用がなくて安心で |
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すからと言う。あげく、あまりにも症状が悪化しているので、教授に聞いてみると言い始める。こりゃ駄目だ。もう、こんなとこにいたら死んじゃうと思いました。実際、危なかったと思いますよ」
−−アトピーという病気で死ぬ人はいなくても、アトピー治療のための薬の副作用で死ぬ人はいるかもしれませんね。
「まったくそのとおりです。大学病院はほんとうに駄目でしたね。最後は手に負えないと言い出す始末。“もう少し軽ければいいけど。”ですよ。こっちは悪いからわざわざ来ているのにね。軽かったら来ないですよ」
波動共鳴水、温泉療法
どれも効果ゼロだった民間療法
−−これで西洋治療に見切りを?
「そうです。ここから民間療法に走ったんです。毎日図書館に行っては、ありとあらゆるアトピーに関する本を読みました。でもね、そこには丹羽先生の本はなかったんです。あればこんなに遠回りする事はなかったんでしょうけどね」
−−という事はいろいろな民間療法をされたんですか?
「ええ。長野県の波動共嶋水療法」
−−どうでした?
「好転反応でもっと酷くなって、それでも大丈夫、大丈夫と言われ、さらに悪くなり、 やめました(笑)。次に、行ったのは神奈川にある温泉療法の会社」
−−それはどんな療法?
「ペットボトルに入った濃縮した温泉水を飲む療法なんです。体験談を載せた本とかを読むと、みんなすごく艮くなっているというので、55万円もかけて浄水器も購入してやったんですが、これもぜんぜん良くならなかった」
−−体験談は、うちでもやっていますし、このように取材もさせていただいていますから同じですよね。
「温泉療法のも体験談を載せたものをいっぱい送ってくるんです。それで、治った方達から話を聞きたいんで教えてほしいと言うと、個人情報保護法があるので教えられないって言われて、ホントに治っているのかどうか確かめようがない。その点、こちらはちゃんと取材してらっしゃる。何よりも丹羽先生が本物だから。治療法も理にかなっているから、他とは明らかに違います」
−−そこから丹羽先生にたどり着いた経緯は?
「確か、タ刊フジのインタビューに、がんやアトピーなどの難病を次々治している名医として、西新宿の佐野先生とおっしゃる方が出ていらしたんです。それを読んで、ひょっとしたらいいかもしれないと思い、すぐに行ってみたんです。そうしたら“ここまで
酷いのはうちではできない。これは土佐清水病院の丹羽先生に診てもらったほうがいい。紹介するからそちらに行きなさい。”と言われ、新横浜の診療所に行ったんです」
丹羽先生にたどりつけたのは「宝くじにあたったようなもの」
−−ようやく辿り着いたわけですね。
「それで診てもらったら、3ヶ月で治ると簡単に言われて、そのことを友人に言ったら、それは調子が良すぎる、アトピーはそんなもんでは治らない。怪しい先生だ(笑)って」
−−確かに、最初は面食らいますよね(笑)年に2回行っているアトピーのスピーチは聞かれました?
「ええ、それが平成17年の秋でした。でも、さっぱり聞き取れなかった(笑)。だって、 先生、早口でしょ?言いたいことがほとばしって、通訳がないと分からないですよ。2回目に聞いて初めて理解できました」
−−じゃ、こちらにお手紙をくださったのはその後ですか?
「それが違うんです。最初、
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3ヶ月で治ると言われたのに、治療を一旦やめたんです」
−−どうして?
「半信半疑の気持ちがあったんでしょうね。いただいたステロイドが弱くて、効かないものですから、つい元のステロイドに戻しちゃったんです。もうステロイド依存症になっていたんでしょうね。症状も、アトピーじゃなくステロイド皮膚炎ですよね」
−−2度目に訪れたのは?
「1年後の18年の秋でした。いよいよ酷くなり、まぶたまでぼろぼろで目が開かなくなったんです。まぶたの神経までもが駄目になってました。 先生には怒られました(笑)」
−−つい最近のことですね
「ようやく目がさめ、11月1日から毎日10袋ずつSODを飲み始めたんです。そしたら1週間で目が開いて、鱗のようになっていた皮膚の下から自い肌が出てきたんです。リバウンドもないし、黄色い汁も出ない。炎症もない。とにかく白い普通の肌が見えてきたんです。そのとき、今まで何をやってもよくならないどころか、悪化し続けた10年間はいったいなんだったんだろうって思いましたね。10年間がバカみたい」
−−そうおっしゃる方が多いという話です。
「だって、何をやっても良くならなくて一家心中した家庭もあるんですから。私も膨大なお金と時間をどぶに拾ててきた。息子だって、丹羽先生に出会わなかったら今頃、廃人になっていたと思いますよ。もう生きる希望すらなかったですから。私は、丹羽先生に出会ったのは、宝くじに当たったみたいなものだと思っています。やっと当たったんです」
−−Nさんのような体験をされてさまよっていらっしゃる方、多いでしょうね。
「うちなんか氷山の一角ですよ。だからこの話を朝日新聞に投稿したんですが、取り上げてくれないんですね。大学病院のマイナスになるようなことはできないんでしょうね。毒にも薬にもならない民間療法も野放し。図書館にはどうでもいいような本ばかり。思わず近くの図書館に丹羽先生の本を寄贈してきましたよ(笑)」
−−Nさんも先日まで土佐清水に行かれていたんですよね。
「息子が12月5日に入院しまして、私も丹羽先生の病院や治療方法をこの目で見たくて行ってきました。本を読んで臨床のやり方を見て納得しました」
−−と言うと?
「本をたくさん出されている有名な先生たちは、優れた研究者かもしれませんが、臨床はされていない方が多い。でも、丹羽先生は臨床で膨大な患者さんと接する臨床医でありながら、研究者でもあるんですね。何よりも丹羽先生は患者の体にちゃんと触れて、全身くまなく触って診療するんです。他の病院の医者は誰一人としてこんな触診はしてくれませんでした」
−−ああ、検査のデータしか見ない医師も多いらしいですね。
「丹羽先生は日本一を通り越して世界一ですね。先生の長年の研究には感謝の気持ちで胸がいっぱいです。今では大変だった28年間が走馬灯のようです。リバウンドのたびにもう死んでもいいと思った日々。こんな思いをしている人が世の中にたくさんいると思うと、なんとか教えてあげたいですね。私の体験談でよければいくらでも話しますよ。SODと丹羽先生との出会いがなかったら死んでいたかもしれないのですから、恩返ししたいですね」
話の端々に表れた下手な医者よりも豊富な知識が、長い闘病生活の苦悩、迷いを物語っていたNさん。おそらく膨大な医学書等を読まれたのでしょう。母のその強さが、聡明さが、粘りが、彼女いわく「宝くじにあたった」という丹羽先生との出会い、治療につながったのでしょう。岩を動かすかのような熱意にこちらのほうが圧倒されっぱなし。さぞや土佐では丹羽先生 |
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と話がはずんだことと察します。
私たちにも 「誇りが持てるいいお仕事ですよね。ぜひがんばってください」
と逆に励ましてくださいました。本当になによりの励みになります。ありがとうございました。
腎臓がん手術 術後のために
京都府 58歳 女性 Sさん
京都で美容院を営むSさんが、尿の不調を感じたのは去年の秋の事だった。尿意はあるのに尿の出が悪い。こんなことはこれまでになかっただけに気になった。歳をとると頻尿になる、という話を聞いたことがあったから、そのせいかなとも思った。
「毎日の事だから妙に気になるんですよね。それでお医者さんに行ったらポリープが見つかったんです」
早期発見が幸いし、手術ですっかりがんを取り除く事ができたのだった。
「本当は私、医者嫌いだったんです。親が医者に行かない家だったので、私も子供の頃から、風邪ひいても、生姜湯を飲んだり、お灸をしたりして治していた。ですから病院の存在を知らないで育ったようなものなんです。それが、虫の知らせじゃないですけど、尿が出ないからといって病院に行って、がんが見つかった」
彼女いわく、たまたま病院に行って、たまたま発見できた。
病院には縁がなかったという清子さんだが、病院いらずの健康体だったわけではない。無理をするとすぐに風邪など引きやすく、低体温のために体がだるい事が多かった。だからといって即病院という発想はなく、いつもサプリメントなどで補ってきた。
「そんなに丈夫なほうではないので、健康には気を使っています。とくに健康補助食品やサプリの情報はよく気に留めていますね」
術後の体調管理の事にも注意を払い、評判の良い補助食晶があれば試してみたりしていた。 「そんななかにダイレクトメールで送られてきた丹羽SOD様作用食品のチラシがあったんです。それがすごく気になって、とっておいたんです。そうしたらたまたま販売の方からお電話をいただいて、これもまた何かの縁だと思って試してみようと」
そうして飲み始めたのが今年の1月のこと。1日に5,6包飲んでいるうちに、いくつかの変化に気づいた。
「私、パソコンを毎日しているんです。見よう見まねでメールしたり、インターネットで調べものをしたり。術後もいつものようにやっていたら、ある日、突然、目から火花が出たんです。まるで稲妻が落ちたかのように」
実際に火花は散っていないけれど、パソコンのドット画面に目がショートしてしまった。眼精疲労の一種だった。
「もう慌てましたよ。だって、術後だつたから、がんと関係 |
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があるんじゃないかって(笑)。でも、検査してもらったらなんでもない疲労だと言われ、もうトシなんだから仕方ないのかと思っていたんです。それが、SODを飲み始めてから治ったんです。というか、気づいたら視力が良くなっていたんです。どうして分かったかというと、SODを2,3日飲み忘れると、目の周りがボーっとして物が見えにくくなるんです。で、ちゃんと飲み始めるとまた見えるようになるんです。明らかに違うんです」
術後の健康同復のためにと飲み始めたSODが思わぬところで効果を発揮して、自分が一番驚いているとおっしゃるというSさん。老眼が進み、度数があわなくなっていた老眼鏡が使えるようになっていたのも驚きだった。大きな変化は、今のところこの視力だけだが、なんとなくだるかった体が軽く感じたり、低体温だった体温が少し上がっていたり、便秘をしなくなったりと、そう言えばという変化はいくつもある。
「だから今はSODをまとめ買いして、お店のお客さんにも勧めています。私はあの味が好きなんですよ。いつも咀嚼しておやつ感覚で食べているんです(笑)。活性酸素がいろんな弊害になっているんですね。最近、そういうことも勉強しました。SODのおかげです」
おやつ代わりにSOD。なるほど。新しい食べ方を教えてくれたSさんは、今日も元気に美容室を取り仕切っている。
SODを飲み始めて2年 C型肝炎の数値が平常に
福岡県 65歳 女性 Yさん
福岡県にお住まいのYさんから最初のおハガキを頂いたのは、平成17年暮れのこと。病弱な上にC型肝炎に感染。夏頃からSODロイヤルを一日2包ずつ飲み始めたら顔色が良くなり、周囲から元気になったと言われるようになった、そんな内容でした。
翌年の春には便秘が治り、指の関節の痛みがなくなってきたとお便りをいただき、次はどのような症状が緩和されるのか、楽しみにしていました。 そうして届いた同年の冬お便りには、今度はお孫さんのアトピーに飲ませたら、3年間も悩んでいたアトピーが3ヶ月で治ったとのお話。ご本人から今度はお子様、お孫さんへとSODの輪が広がっているのには驚きました。
一番新しいおハガキは平成20年の8月31日。厳しい夏の終わりでした。なんと肝臓のGPT数値が19、GOT数値が24と平常値になっていたという嬉しい知らせでした。
この知らせをいただき、いてもたってもいられず、おもわず取材のお電話を差し上げたのでした。
娘から孫まで家族全員SOD生活
ハキハキとした口調でお答えくださるYさん。その口調からも若々しさがみなぎっているよう。
「ところが、以前は虚弱体質だったんですよ。顔色は悪かったし、疲れやすく、自律神経失調症だったんです」
そんな体質に輪をかけた出来事がC型肝炎でした。感染したと思われるのは、子宮と卵巣の摘出手術を受けた48歳 |
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のとき。
「術後-年くらいしてからでしたか、お風呂場のおそうじをしていて、カビキラーを噴射していたんです。そうしたら急に気分が悪くなり倒れたんです」
病院で検査をしたら、酵素の数値を表すGOTとGPTが平常値の8倍以上にはね上がっていた。C型肝炎と診断。思い当たるのは手術での輸血。以来、何をするにも体が疲れやすく、憂鬱な日々を送っていたとの事。
「手術後、体調が悪く、病院の先生から東洋治療が体質的に合うかもしれないと教えていただいて、漢方を処方してもらったんです。そこから、ありとあらゆる健康食品を探しては飲んでいましたね。丹羽先生のSODのことも当然知っていたし、飲んでみたいなとは思っていたんですが、どこで販売しているのか分からなかったんです」
そんな中、ある日、朝日新聞の片隅に丹羽先生のインタビューとSODロイヤルの広告が掲載されているのを発見。Yさんはさっそく注文したのだった。2005年の夏、ちょうど2年前の事。
「1日に2包ずつ。私の症状では少なすぎるかとも思ったんですが、飲み始めて3ヶ月くらいで顔色が良くなったってみなさんから言われるようになって、そう言われてみると便秘も治っていたし、体が軽くなった感じがしました」
飲み続けて1年もたつと、体の変化はさらに増えた。朝起きると指の関節に痛みがあったのがなくなり、果物などを食べると気分が悪くなっていたのが、少しずつ食べられるようになった。
「私の実家が山梨で、姉が高齢でしたから、年に1回は実家に帰っていたんです。たった2,3泊の旅行がとてもしんどくて、帰ると寝込むくらいだったんです。本当に、もう何をするのもおっくうだったんです。それが、SODを飲み始めてからはなくなったんです。もうこれは本物だ。一生続けようと思いましたね」
そう思うと人に勧めずにはいられないYさん。お友達はもちろんの事、気づくとご家族全員がSODを飲むようになっていたとか。
「小学校5年生の孫が3年くらい前からアトピーで、お医者さんにかかっていたのに全然良くならなかったんですが、SODを飲ませたら3ヶ月で治づたんです」
それに始まり、娘さんの自律神経失調症、娘婿の花粉症、ご主人のダイェットにもSODが大活躍。
そうして気づくと、ご自身も肝炎の数値が平常値に戻り、自律神経失調症も、冷え性もずいぶん改善された。
「家族全員が元気になって、ほんとうにありがたいことです。おかげさまで4人いる孫たちは、どこへ行っても“落ち着いたいい子たちですね”と言われるんです。食育というのでしょうか、SODのおかげで孫たちの精神も安定しているんだと思いますよ」
うらやましいお孫さんたち。Yさんも
「ホント、私も子供の頃にSODがあったらと思いますよね」と高らかに笑われた。
「SODがなぜ良いのかというのが分かるようになったおかげで、精神的な変化もあったんですよ。というのは、人との関わり合いのなかでトラブルが起きても、病気と同じように、なぜそうなったのかと原因を考えて冷静に対処できるようになったことなんです」
これからはたくさんの人にSODの素晴らしさを知らせたい、知り合いはみんな健康 |
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になってもらいたいから、とおっしゃるその前向きな姿勢も、SODの効果力を押し上げているのでしょう。
愛娘とのアトピー難民闘病
東京都 6歳 女児 Kさん長女
健康や医療関係の情報を発信する側の会社にお勤めのKさん。
実は7歳になるお嬢さんが大変なアトピーで苦労されたとかで、丹羽療法に辿り着くまでに実に4年余りもの歳月、アトピー難民として右往左往されていたそうです。
Kさんが愛娘の肌がおかしいなと感じ始めたのは、生後1年目のことだった。最初は頬に帯状の発疹ができ始め、それがあちこちにできては消え、消えてはできの繰り返し。
近所のかかりつけの小児科で塗り薬を処方してもらうが、いっこうに良くならないどころか、悪化の一途を辿っていた。
「小児科のお医者さんは、とてもていねいに診て下さったのですが、ステロイドの塗り薬という対処療法でしかなかったので、これはやはり皮膚科専門のお医者さんに診てもらったほうがいいなと」
そこで人づてに聞いた“有名らしい”皮膚科の専門医に行くことになる。
「言われたのは、原因はホコリやダニかもしれないから、まずは部屋の掃除をすること。次に食事かもしれないからアレルゲンを取り除こうと。加えてステロイドの塗り薬。もちろん掃除もしたし、食事も気をつけはしましたが、無菌状態の中で生活するなんて無理な事ですよね」
しかも、お嬢さんの症状は全く良くならないどころか、どんどん悪くなっていく一方。夜も寝られないという悲惨な状態になっていた。2歳という可愛い盛りの娘さんが夜も寝られないくらいに苦しんでいるのは、親としていてもたってもいられない心境だっただろう。
「病院や治療院、そりゃ必死に探しましたよ。噂、口コミ、インターネット。そんななか、次に見つけたのが食物アレルギー専門の先生」
アトピー=食事療法という図式は、丹羽先生の土佐清水病院でも実践されている事。 しかし、Kさんの通った病院は、どうも様子が違うようだった。「今考えると怪しいんですが、食物はなんでもかんでも電子レンジでチンしてから食べろというんです。アトピーのもとになるタンパク質の構造がチンによって変化するからと。そして一切ステロイドは使うなと。その場で先生にいろいろ説明を受けると、そうなんだと納得してしまうものなんですね」
確かに、世の中には様々な療法が蔓延している。切羽詰まった当事者にとっては、どんな療法でも試してみたいという想いの強さがある。だから、多少の矛盾も思い込みで理解できてしまうのかもしれない。
「水も薬も、アイスクリームまでも、とにかくなんでもかんでもチン。困るのは外食したときでしたね。除去食ならそのメニューを選ばなければいいんですが、チンはそうはいかない。“お店の人にすみません、うちの子が病気なので電子レンジでチンしたものしか食べられないんです”と言ってチンをしてもらっていたんですが、みなさんに変な顔をされましたね。
なのに一向に良くならないんです。というか、酷くなっていった。散歩をしていても |
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行き交う人に“かわいそうにね”と言われてしまう。それくらい酷かったんです。皮膚はほとんど象の皮みたいになっていましたね」
夜はかきむしって眠れない。布団は血に染まり、親子ともども疲れ果てていた。お嬢さんは4歳になり、何事もなければ小学生になるのを楽しみにしている時である。
「私はまだ会社に行っている間は変な話、アトピーのことからは逃げられる。しかし、妻は正直、限界に近かったと思います。小学校に上がってもこのままじやスカートも履かせられない。いじめにあうんじゃないかと心配していましたね」
最後の賭けだった丹羽療法
八方ふさがり、もうお手上げというときに東京駅近くにある八重洲ブックセンターに行った。ここは日本でも最大級の規模のブックセンターであり、医療の専門コーナーだけでも他店の10倍くらいのスぺースを設けている。
「ここで、名医がいる病院ベスト100を紹介した本を見つけたんです。そして、いくつかの病院がリストアップされているなかに土佐清水病院があったんです。それも、ベスト1OOの病院ではなく、欄外に囲み記事でひっそり紹介されていた。しかし、アトピー治療のことが書かれていたので、なぜか目に止まったんです。そこで、この本と丹羽先生の『全国のアトピー患者が信頼するこれだけの理由』という単行本を購入しました」
丹羽先生の本は立ち読みした段階で、なぜか気になったというKさん。丹羽療法は、これまでのステロイドを使うとおりいっぺんの西洋医療ではない。かといってステロイドは絶対にダメという民間療法でもない。丹羽先生という医師が独自に研究した活性酸素を始めとしたメカニズムに可能性を感じたという。さすがにそのあたりは編集者の勘だった。
「でも、土佐清水は遠すぎて悩みましたね。その前に『ベスト100』の本にある大きな病院が第一候補。土佐清水は3番目くらいの位置でした。でも、直感としては土佐清水が一番でした。いざというときの切り札として取っておきたい、ここに入院するときは最後の賭けだと思っていました」
そして購入した丹羽先生の本を読み、土佐清水病院のホームページを見ていたところ、全国に分院ともいえる診療所があることを発見。
「通えるのなら丹羽療法をやってみたいと思い、すぐに新横浜の診療所に行きました。それが平成18年の夏の終わり頃でした。息子もいるので、息子は僕が面倒見て、妻が娘を診療所に連れて行ったんです。そうしたら、土佐清水に入院する一歩手前だと言われたそうです」
治療にあたったのは、丹羽先生の息子さんで千葉のガンセンターから数年前に丹羽先生のもとにいらした住(すみ)先生。
「まず言われたのが、かゆみがひどいときは薬を塗っていいです、ということだったんです。しかも強い薬を。驚きました。というのもその前のチン治療(笑)では絶対にステロイドは使っちゃいけないと言われ、ずっと使わなかったから。先生は、まずはかゆみや炎症などをおさえましょう。それからしっかりと根本治療しましょう、とおっしゃって、すごく納得しました」
そうして最初のー週間が過ぎた。見た目の症状は一気に改善された。強い薬を塗ったのだから当たり前のこと。
「この改善は仮の姿だと分かっていても、精神的にすごくホッとしたんです。何よりも娘が夜、一度も起きなくてぐっすり眠ってくれたんです。もうこれだけで僕らの負担まで軽くなり、妻も久しぶりにゆっくり眠れたと言ったんです。妻は本当に必死だったんです。治療前にすべての本を熟読していましたから、久しぶりに眠れたと言われたとき |
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は、正直、救われました」
本格的な生薬治療が始まってからも症状は改善に向かい、3ケ月。
「たった3ヶ月で、10あったダメージが7くらいまでになっていたんです。そりゃ嬉しかったです」
たったの3割治っただけととる人もいる。しかし、Kさんたちにとっては劇的とも言える変化だった。
「だって、これまでは悪くなることはあっても良くなることがなかったんですから」
初診から3年経ったいま、お嬢さんは気づくとスカートを当たり前のように履いて、元気に小学校へ登校されているとか。
「夏場や季節の変わり目は少し悪くなるのですが、2年前に比べるとものすごく良くなっていることを実感しますね。何よりも夜起きる回数が激減したこと。足首と手首を覆っていた象の皮のような皮膚がきれいになったこと」
今はルイボスを1日2回とSODを1日2袋。4種の塗り薬を症状に合わせて塗り分けている日々。一時使っていた沈静化のための強い薬も、今は一番弱い薬に代わった。
「食事指導もあり、肉類、ナッツ、乳製品などと基本的に油っぽいものは食べられないんですが、年に一度の誕生日やクリスマス、学校の行事などではケーキを食べていますよ。先生もそのくらいは、食べないでストレスがかかるよりもいいと言ってくれるんです。そういう幅のある治療が嬉しいですね」
日ごとに良くなっていくなか、目下の課題は学校給食。学校の協力で除去食を作ってもらってはいるが、体制の変化などで作れなくなると言われたことも。
アトピー性皮膚炎で悩むお子さんが増えている昨今。給食を義務化している小学校で、除去食を作ってくれる学校はまだわずかだと聞く。学校内に炊事場があり、学校内で作れる場合はまだ勝手もきくが、学内に炊事場がなく、業者に一括依頼している場合は難しいとか。
当事者にとっては切実な問題だ。国や自治体には学校に働きかけるようなシステム作りを望みたいもの。
というように、Kさんへのインタビュー、マスコミに従事する父ならではの問題捉起をいただきました。お忙しいなか、ありがとうございました。
「僕、実は、まだ住先生にも丹羽先生にもお会いしていないんです。いつも妻が診療所に行っていましたから。機会があればぜひ、先生にお会いしたいです。お礼も言いたいです」
ぜひ、ご一緒しましょう。
たった2ヶ月のSODでコレステロール値が激減
栃木県 60歳 女性 Nさん
高脂血症で悩まれていた、栃木県にお住まいのNさん。
Nさんのお語に入る前に、彼女が悩んでいた高脂血症という症状について説明しておきましょう。高脂血症とは、血液中の脂質(脂肪)、特にコレステロールと中性脂肪が増えた状態のことを言います。この病気は痛くもかゆくもなく、自覚症状がありません。総理府の調査によると、高脂血症についての感じ方は、糖尿病や高血圧などと比 |
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べると怖い病気という認識を持つ人が少ないそうです。
しかし、近年、メタボリック症候群の危険性が盛んに言われ始め、なんとなく良くない、といった認識は芽生え始めているようです。 しかし、高脂血症というのは自覚症状がでたときには、すでに心臓や脳、または下肢の動脈硬化が進み、突然、脳梗塞や狭心症、心筋梗塞などを引き起こすため、サイレント・キラー(沈黙の殺人者)とも呼ばれているとか。
このように記すと、コレステロール値や中性脂肪の値が高いと健康診断で言われた方などは心配されますが、以前、丹羽先生はSOD研究会報97号のインタビューで
「コレステロールなんか多少基準値よりも高くてもいい。SOD飲んで、食事に気をつけて、適度にウオーキングしていれば問題ない。それよりもコレステロールを抑える薬、これは誰にでも処方されるもののなかで危険な部類に入る薬です。こっちの薬害のほうが高コレステロールよりも危険」
と言い、過度にコレステロール値に神経過敏になって、薬に頼ったりする、薬害の危険性を示唆していました。
さて、その高脂血症ですが、原因はやはり生活習慣によるものが多いようです。喫煙、お酒の飲み過ぎ、脂っこい食生活、運動不足などなど。加えて女性の場合は閉経によるホルモンバランスの乱れが原因になります。女性ホルモンであるエストロゲンの減少が血液中の脂質を増やしてしまうのです。
Nさんも、そんなおひとり。現在60歳のNさんが、ひょんなことで血液検査をしたのが、閉経直後、53歳の時でした。
「もともと太めでしたから、仕事場で健康診断を勧められ血液検査をしたところ、コレステロール値が280(基準値140〜220)、中性脂肪が200(基準値50〜149)もあったんです。あと、血圧も140と高めで、さらに左脳に動脈硬化の気配があると言われたんです」
すぐにお医者さんから高脂血症の薬が処方されたそうです。そして薬を飲み続けること5年近く。
「お薬の名前はよく覚えていないんですが、とにかくコレステロールや中性脂肪の数値がまったく良くならなかったのは事実ですね。逆に酷いときなんかコレステロール値が400近くまで上がったときもありました」
薬が効かないのか、自分の体が悪いのか。いやいや、薬が効いているからこその数値で、飲まなかったらもっと悪くなっているのかも、などと気に病むことしきりだったとか。
丹羽先生のSOD様作用食品と出会ったのは昨年の事。知り合いから勧められ、試しに2箱購入したのです。
「本当に効くのかどうかを知りたくて、その間、お医者さんからもらった薬は飲まないで、SODだけを1日4袋ずつ2ヶ月間飲んだんです。薬を飲まないというのは私にとって冒険でしたが、どうしても効果を知りたかったから」
そうして血液検査をしたところ、コレステロール値も中性脂肪の値も、ものの見事に平常値に下がっていました。
「その数値を見たとき、検査の機械が壊れて間違っているんじゃないかって思いましたね。だって、たったの2ヶ月ですよ。正直、そんなに効くものだなんて思っていませんでしたから、びっくりでした」
そんなNさんよりも、かかりつけの内科医の先生のほうがもっと驚かれたとか。
「いやー、ずいぶん食事療法をがんばられたんですねー」と言われ、いやSODが効いたと言っても信じてもらえないだろうと思い、つい
「はい」と言ってしまったNさん。でも、頭の中では
「間違いなくSODが効いたんだ」
と確信したそうです。 「それからは丹羽先生もおっしゃられるように食事にも気 |
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をつけ始めました」
お医者さんからも食事療法はしきりと勧められたけれど、ついついさぼりがちになってしまうもの。ところが、SODの効果を目の当たりにして、その丹羽先生が食事療法を進めていると聞けば実行しようという気にもなるというもの。
「もう、嬉しくて嬉しくて、つい娘やお友達に薦めてます。娘はデスク作業で、うつむいて仕事をすることが多く、いつも背中が痛いって言っていたんですが、最近は痛くなくなったと言ってます。あと、娘の友人でひどいアトピーの子がいて、その子にも勧めたら、自分でもなにやらインターネットで調べて納得したみたいで、飲み始めましたよ。ほら、SODは何にでも効くというから、みんなに薦めてます」
職場では力仕事も多い日々。NさんはSODという強い味方をつけて、現役まっただ中。
アレルギー性鼻炎
鹿児島県 18歳 男性 Kさん
鼻をもぎ取ってしまいたいくらいのひどい鼻炎が、
SODを飲んだ翌日からピタリと治まった。
レーザー治療と抗生剤の山
鼻炎と聞くとすぐに思い浮かべるのが花粉症。しかし、昨今は花粉症の季節だけでなく、一年中鼻炎に悩まされているアレルギー性鼻炎の患者さんが増えていると言う。風邪でもないのに発作的にくしゃみや鼻水で辛い思いをする鼻炎。一説によると、日本人の5人にひとりが鼻炎に悩まされているという。
Kさんのご子息、現在高校3年生のTさんもそのひとり。Kさんは鹿児島で歯科医院をされているお医者さんのご家族。
「鼻炎の症状は15歳くらいから始まりました。とにかく朝起きた瞬間から鼻水がずっと流れ出て止まらないんです。ですから毎日ハンカチと点鼻薬や飲み薬が手放せない生活で、息子も、もう鼻をもぎ取ってしまいたいと言うくらいでした」 |
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とお話してくださったのはTさんのお母様。もちろん、耳鼻科の病院に通い、様々な治療を試みた。
「鼻をレーザーで焼く治療ですか?それも3回くらいやりました。でも、一瞬良くはなるのですが、すぐ元に戻るんです」
という治療法は、鼻の中にある出っ張りの部分の粘膜をレーザーメスで焼く方法だ。焼く事により、空気の通る道、気道を広くして、同時に下鼻甲介粘膜にあるアレルギー反応を起こす細胞を変性させて鼻炎の症状を抑えるというもの。気道を広げるので鼻づまりには効果的かもしれないが、鼻炎にはどうも効果がなかったという。
「人づてで様々な健康食品も試しましたし、病院もいいと言われたところには行きましたよ。知り合いがすごく効く薬を処方してくれる病院があるというので行ってみたら、山のようにどっさりと抗生剤を処方してくれただけでした」
歯医者さんだけに薬のことはお手のもの。
「そりゃあ、抗生剤をたくさん飲めば一時はものすごく効きますよね。でも、抗生剤を続ける恐さも知っていますから」
さすが。
「この病院でアレルギー検査をしてもらったら、ダスト、ダニ、花粉、食物すべてのものにアレルギー反応が出たんです。中でもダニがいちばんいけないと言われましたね」
改善するには無菌状態の部屋で生活し、水と空気を食べていくしかないというのが結論のような検査結果だった。
「ですからこれを治すには抗生剤しかないと言われたんです」
しかし、抗生剤を続ける勇気はなく、再び鼻炎難民に。 「また別の病院にも行きました。そこでは鼻の骨格が曲がっているから手術をして骨ごとまっすぐにしないとダメだと言われましたね」
あらゆる健康食品を試した結果SODに
鼻炎に関するありとあらゆる書物を読みあさり、西にいい病院があると言えばかけつけ、東にいい薬があると聞けば取り寄せる日々。日ごとに増える知識のなかで分かったことは、健康食品を選ぶ基準は、やはり副作用がない事。
免疫力を上げる効果がある事。
「そんななかで“核酸”というのがアレルギーにいいと聞いて試してみましたら、一時、症状が治まったんです」
アレルギーの代表的な疾患として、喘息、アトピー性皮膚炎、花粉症などがあげられる。それらは、血液中の抗体igEが増えることが共通した特徴。人工乳は抗体igEが高く、母乳は低く、母乳のほうがアレルギー発症の割合が低いという。成分を比較すると、母乳に含まれる“核酸”成分が、人工乳にはほとんど含まれていなかったとか。なので現在は人工乳にも核酸が含まれるようになった。このような訳から“核酸”はアレルギーに効くと評判になっていたのだと推測される。
「でも、1本目は効いたのですが、2本目を飲み始めたあたりからまた症状が出て来て、これもまた頓挫。半ばあきらめかけていましたね」
歯科医院には年中、医薬品から健康食品までたくさんの案内が届けられる。それらのすべてに目を通すことは大変。ほとんどの案内は、ゴミ箱行きの運命をたどっていたとか。
「ところが、たまたま目にしたパンフレットのなかにアレルギーの方のお話などが載っていたんですよ。読み進むうちになんとなくよさそうな予感がして、試しに取り寄せたのが丹羽先生のSODだったんです。これはすごかったですね。飲んだ翌日に鼻炎が見事に止まったんですから。あまりにも即効性があって心配になったくらいです。でも、成分表示には悪いものはひとつも入っていないし、丹羽先 |
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生も副作用はないからどれだけ飲んでも大丈夫っておっしゃっているから、1日6袋ずつ飲ませました」
昨年の12月から飲み始めて約2ヶ月あまり。Tさんの鼻炎は止まったままだ。巷では、今年の花粉は多くて大変だと騒いでいるのに、いっこうに再発の気配はないという。
「これまでの経験から疑心暗鬼になっているんでしょうね。だからまだ分かりませんが、今まで試したものの中では最高の出会いに間違いないですね。なんか、これだって言う気はしています」
この春、Tさんは無事大学生に。鹿児島を離れ、一人暮らしを始めるとか。
「一人暮らしで食生活が悪くなるのが心配。せめてSODだけは欠かさずに飲んでほしいと思っているんですよ」
実は、そうおっしゃるお母様もSODを愛飲され始めました。理由は、コレステロール値を下げるためだとか。
「春の健康診断が楽しみなんです。あと、花粉症の友人やアトピーの方にも勧めているんです。マグニーボールもSODを注文するごとに1キロずつ購入しているんです。まだ4キロなんですが10キロになるのが楽しみ」
疑心暗鬼とおっしゃりながらしっかり丹羽療法をご理解されているようです。マグニーボールまで入手されたとは、かなり通ですね。
Tさんの新しい大学生生活が快適なものになるよう願っています。また、途中経過や変化などありましたらお手紙くださいね。
腎アトピー、膠原病予備軍、メニエール病
東京都 51歳 男性、47歳 女性 Tさんご夫妻
働き盛りのご夫妻の危機を救ったのはSOD
東京にお住まいのTさんご一家。ご主人のHさん(51歳)、奥様のMさん(47歳)一男・一女、奥様のお父様、愛犬に囲まれ、平穏な日々を送っていたのですが、中年期に入ったあるときから、ご主人も奥様も体調に異変が起こり始めたのです。
ご主人のHさんに最初の症状が出たのは6,7年前のこと。厄年を過ぎ、年齢的にも若い頃のように無理が利かなくなり、なにかと体の機能に支障がでてくるもの。Hさんの場合はそれが肌に現われたと言います。
−−きっかけはどのような事からでした?
Hさん(以下敬称略)「私は生まれつきいくつかの薬物アレルギーがあったんです。まず、赤チンなどの水銀系消毒薬に対するアレルギー。塗ると火ぶくれができるので、怪我をしたときは、僕だけ黄色いアクリノール液を塗ってもらっていました。あと風邪薬に対するアレルギー。頭痛薬などに入っているピリン系もだめなんです。だからクスリ関係には非常に気を使っていたんです。そんな中、最初に症状らしきものが出たのは、下着のゴムなどが肌に当たる部分からでしたね。パンツのゴムとかシャツの襟ぐりとかが痒くなって掻いているうちに、そのあたりだけ肌がじんましんのように赤く腫れていました」
−−それでアトピーだと?
H「いや、それでもまだアトピーだとは思わなかったんです。アトピーというのは子供がなるものだという先入観が
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あったんでしょうね」
Mさん(以下敬称略)「だから洗剤の落とし方が悪くて洗剤アレルギーなのかもしれないと思って、すすぎをいっもの倍以上したり、粉末洗剤を液体に替えたり、ナチュラルなものにしたりしたんです」
H「それでも良くはならなくて、そのうち今度は靴下のゴムの部分だけ赤く腫れ始め、その範囲がどんどん広がっていき、ケロイド状になってしまったんです」
M「主人には見えなかったけれど、じんましんのような発疹が背中全体に広がっていて、手の届くところは掻きむしってジクジクした状態でした」
H「かゆみとかさぶたと血とで下着がすごいことになって、夜も寝られないような状態になったんです。市販のかゆみ止めも一時しのぎでしかありませんでした」
M「それで私が丹羽先生の診療所で診ていただこうって言い出したんです」
−−奥様はどうして?
M「実は、私、10年ほど前に膠原病予備軍になった事があるんです。そのときに知人がSODを勧めてくれて、半信半疑で1日9包を飲み始めたら、たったの1ヶ月で数値が下がっていたんです。おまけに体も疲れにくくなるし、風邪も引きにくくなったんです。以来、私はもうSODの大ファンになり、包数は減らしてずっと飲み続けていたんです」
−−その後はずっと健康に?
M「それが、仕事が忙しくてストレスが溜まり、メニエール病という三半規管がおかしくなる病気になったんです。病院では、これは面倒な病気で良くなるまでには長い月日がかかりますよ、覚悟してがんばりましょうねと言われ、落ち込んでいたのですが、その時期は、お医者さんからいただくイソバイドという苦い液体のお薬とSODをいつもより多めの1日6包飲んだところ、これまたたったの2ヶ月で良くなったんです。担当のお医者さんはびっくりしていましたね。そんな事があったものですから、主人の症状を見て、丹羽療法はアトピーでも有名だし、新横浜に診療所があるから診ていただいたほうがいいと思ったんです。丹羽先生が出されたアトピーの本も読み、これは絶対にアトピーだから診ていただかないといけないと思ったんです。というのは、主人はジャンクフードが犬好きなんですよ(笑)。とくにハンバーガーやフライドポテト。毛う年中食べているんです。丹羽先生の本には最も良くない食べ物の筆頭に上がっているものですよね(笑)」
−−確かに(笑)。これまで何事もなかった事のほうが不思議だったんですね。新横浜での診察はいかがでした?
H「先生のロングスピーチを横浜まで聞きに行きましたけど、先生が早口でついていけなくて、途中で寝ちゃったんです。ま、この人が聞いていてくれるからいいかと思って(笑)」
M「ひどいですよねー(笑)。 私は、一字一句聞き逃すまいと、懸命に聞かせていただきました。本当にためになるいいお話で、病気のメカニズムや活性酸素の事、環境と人間の体の密接なつながりなど、目から鱗とはこの事でした」 |
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H「確かに、皮膚科や薬局に行っても塗り薬をもらうだけで、それも良くはならないのだから、これではだめだと理屈では分かるのです。でも、それが薬に代わるものとしてSODを飲んで治すというのも実のところ半信半疑でした。妻が真剣にのめりこむほど白分では冷めていましたね。男はとかくあまのじゃくなんでしょうね(笑)。よくある健康商法というか、宗教っぽいものじゃないかと」
−−診察ではどのような?
H「これはまぎれもなくアトピーですよ言われ、特製の軟膏とSODを処方され、同時に食事の改善をするように言われました。まず、ファーストフードはだめ。あと、コーヒー、チョコレート、カレー、ラーメン、肉、乳製晶、揚げ物、スナック菓子などは食べないようにと。すべて私の好きなものばかりでしたからがっかりでした(笑)」
−−食事は守れました?
H「きちんと守れないようなら土佐清水病院に入院になる場合もありえると言われ、入院は嫌だと思い、最初のうちは守りましたね」
M「食事と軟膏、SODのおかげでまず背中から良くなり始めました。確かに飲み始めて2週間目くらいに一度好転反応のようなものでかゆみが少し出たんですが、あとはどんどん良くなっていきました。背中一面かさぶたでジクジクしていたのがどんどんなくなって3ヶ月くらいで診療所の軟膏をつけなくてもいいくらいになりました」
−−さすがにここまで良くなると考え方も変わりました?
H「いやー、ホントに驚きました。1ヶ月くらいでかゆみがなくなったんですから嬉しいですよね。と同時に、食事も3ヶ月目くらいからダメだといわれていたものを食べ始めたんですけど、大丈夫ですね。ただ、揚げ物を2人前とか食べると少し出ますが、食べ過ぎなければ大丈夫ということも分かりました。フライドポテトもSはいいけどLはダメとか(笑)」
M「最後まで残っていた足首のケロイド状の痕もすっかりもとの肌に戻り、きれいになったんですよ。ですからうちではアレルギーの息子もSODを飲んでます。犬も体調の悪いときにSODを飲ませたら、すぐに良くなりました(笑)」
H「おかげで健康や医療に対する意識が変わりましたね。西洋医学の化学薬品は病気に効くといっても、部分的なところに効くだけで、病気の根本を治しているわけではないんですよね。そして常に副作用の危険性をはらんでいる。人間の体は全て相乗的につながっているものなんですよね。私はタバコも吸うし、ジャンクフードなども好きですし、がん家系ですからがんになる可能性は高いと思うんです。もしもがんになったとき、がんに効く薬を投与してもそれは遅いんですよ。発症する前に発症しないようにしなければいけない。それが免疫を高める事であり、そのために必要なものが丹羽先生の開発されたSODなどにあるわけですよね。
活性酸素のこともなんとなく知ってはいましたが、きちんと理解できてはいなかった。それが理解できると、自然のものを自然のもので退治するということが分かります。これは治療ではなく自然の摂理ですよね。日本古来からある白然のものだから、副作用はない、自分の体も痛めない。薬は即効性はあるけど怖いもの。SODは安心でメリットがいっぱいある」
−−ほんと、そのとおりですよね。
H「最初は土を飲んでいるようで嫌だったんですが(笑)、今は飲まないと落ち着かない。習慣になってしまいましたね。甘いものを食べて口の中が甘ったるいときにSODを飲むとちょうどよくなりますし(笑)、自分で納得がいくようになってからは両親を始め、知り合いにも勧めているんです」
M「私もSODのおかげでお医者さんに、あなたに出す薬 |
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はなにもないですよ、と言われて嬉しかったですね(笑)。 SODに出会わなかったら、私は今頃はステロイド剤でボロボロの体に、主人もアトピーを抱え、ストレスを抱え、家庭内は暗くなっていたでしょうね」
「確かに。夫婦の絆も丹羽療法とSODのおかげで強くなったと思います。丹羽先生に感謝ですね」
ご主人が夫婦の絆が強くなった、とおっしゃっている横で大きくうなずく奥様。その笑顔がひまわりのように明るくて素敵でした。病気の危機を乗り越えたお二人。こうして明るく振り返る事ができるのも今が健康だから。そして、Tさんご夫婦の明るいお人柄のせいかもしれません。ご主人からは
「インフルエンザのうがいは市販のうがい薬では効かないんですよ。あれは殺菌するだけで、風邪薗には効くけどインフルエンザのウイルスには効かないんです。ウイルスに効くのは紅茶。紅茶でうがいをするといいと言われたので、アトピーでコーヒーがダメと一言われたのを契機にレモンティーを飲むようにしたところ、確かに風邪をひかなくなりましたよ」
と経験談をご披露していただきました。すっかり生薬療法が板についた感じで、こちらまで幸せのおすそ分けをいただき、嬉しくなりました。ありがとうございました。
腎不全からの生還
SODのありがたさは病気にならないとわからない
大阪府 56歳 男性 Fさん
頑強な体に突然の病 一生人工透析と言われ
大阪で白営業を営むFさんは、子供の頃から柔道で体を鍛え、50歳過ぎまでその頑強な体が自慢だった。多少の病気くらい跳ね返す気力と体力にあふれていた。
それは平成18年3月中頃の事。
「数日前くらいから体がだるく、熱っぽいので、風邪でもひいたかなと思っていたんです」
いつもなら1日仕事を休んで寝ていれば治っていた風邪が、いっこうに良くならない。それどころか体は重くなる一方。奥様の勧めもあってFさんは仕方なく病院に行った。それが金曜日の事。
「病院に行きましたら、先生が、これはちょっとおかしいから採血とエコーをさせてくれと言うんです。おしっこの出が悪いようだから、腎臓がおかしいかもしれないと。紹介状を書いてあげるから週明けすぐに大きな病院に行くようにと言われたんです」
このときはまだ、おしっこの出が悪いと言われればそうかもしれないけれど、さして気になるほどでもないのに、 |
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と言う程度の心配だった。ところが翌日、病院から電話がかかってきた。
「採血の結果、急性腎不全の可能性が高いと。こちらから電話しておくから、今すぐ大きな病院に行くように。入院になると思うからその準備もしてすぐに行ってくれと言われたんですわ。そらもうびっくりしました」
あわてて大きな病院に行くと、先生から
「意識不明に近い状態なのによくここまでがまんしましたね」
と言われ、もちろんそのまま入院。普通の人なら立って歩くことなどできない症状なのに、Fさんの頑強な体、並外れた体力にはお医者さんも驚きだったろう。
そんな中、尿管にカテーテルを通して排尿を促すが、尿は最初のうちだけしか出なくなり、翌日曜日の朝になると顔全体が腫れ上がっていた。まぶたを開けるのすら難しい状態になり、一時は危険な状態になった。このとき、Fさんには知らされていなかったが、奥様には先生から
「急性腎不全だと思われます。危ない状態です。良くても人 工透析(週に2,3回病院での透析を一生続けなければならない)をしなければならないと覚悟しておいてください」
と説明があり、予断を許さぬ状況が続いたという。尿管のカテーテルの代わりに、背中に穴をあけ左右の腎臓から直接尿を出す手術も行った。さらに悪性リンパ腫か腎不全に伴う後腹膜繊維症という難病の可能性があるという事で、腹部の一部を切り取り生検をし、MRI検査、胃カメラまで撮った。結果は後腹膜繊維症。左右の尿管が腫瘍のようなもので塞がれている状態だったという。
「先生には、後腹膜繊維症は20年ほど前に発見された難病で、原因は不明。治療法もないと言われました」
しかし、Fさんの体力のおかげで腎臓が少しずつ働き始め、2週間後には退院にまでこぎつけた。
「そのときに家内の友人がSODを飲んで病気を治したというので、SODのことを知ったんです。私は柔道で体を鍛えてきた人間ですから、病気なんか気力と体力で撃退するんだと思っていて、漢方だろうとなんだろうと薬というものを信用していなかった。けれど初めて入院して手術して、よほど精神的にまいって、気力が萎えていたんでしょうね(笑)。病室でひとり泣いたくらいですから。藁をもすがるつもりでSODを飲み始めたんです。最初の頃は1日に6袋」
院内感染に胃がん 満身創痩でSOD
Fさんの当時の肉体と精神は、極限まで弱っていた。その体に追い討ちをかけるように、退院した翌日に高熱が出てしまい再入院。原因は背中に開けていた穴から菌が入るという院内感染。
「結局4月上旬から2週間、また入院でした。その入院から1週間くらいしてからでしょうか。それまで尿意はもよおすけどなかなか尿が出なかったのが、少しずつ出るようになってきたんです。ひょっとしたらこれがSODの効果かなと」
喜んだのも束の間。検査の中から今度は胃がんが発見されたのだ。踏んだり蹴ったり、満身創疾とはこの事。
「もうここまでくると何が来てもいっしょ。とにかくなんでもかんでも切ってくれと。それで内視鏡で手術をしてもらったんですが、がん細胞すべてを取り切ることができなくて、またしても手術です」
結局、胃を全部摘出するという大手術になってしまった。その頃には尿もよく出るようになり、腎臓がSOSを出してくれたおかげで胃がんが発見され、けがの功名と思えるようになったと言う。と同時に今度はステロイド投薬治療が始まった。副作用があることは説明されていた。もともとあった軽度の糖尿病が |
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悪化する可能性や、緑内障などになる可能性があるからと、ステロイド投薬だけのためにまた入院。
「入院中もSODは欠かさず飲んでいました。というのも、飲み忘れた翌日は調子悪いんです。でもちゃんと飲み続けているとどんどん良くなっていくのがわかるんです。何よりも朝起きたときの体調が違うんです。気分も違う。お医者さんには内緒でずっと飲ん
でいました(笑)。そしたら、3度目のMRI検査で、尿管をふさいでいた腫瘍のようなものが小さくなっていたんですよ。先生もびっくりしていましたね」
怒濤の入退院、手術の繰り返しにようやく終わりが見えてきたのは、9月の中頃のことだった。
「背中から通していた管の左側が抜けたんです。左側の腎臓が、管を必要としなくなるまでに回復していたんです。半年たってやっと少し解放された気分でしたね」
そして12月。とうとう右側の管も抜け、背中の穴から解放された。 「このときは嬉しかったです。背中に穴が開いていた間は、湯船につかれないんです。ずっとシャワーだけ。そら肩まで湯船につからないと体も温まらないですわ」
生還できたのは SODのおかげ
お風呂の楽しみが戻ったことが何より嬉しかったというFさん。そして、ステロイドは少しずつ量を減らしながら平成20年4月まで飲んで終えた。先生から言われていた副作用も全くなく、すべての数値が平常に戻っていた。
「あっという間の1年でしたね。先生から後腹膜繊維症は、再発の可能性が高いからと言われているので、今も定期的に病院には行っていますが、体調は全く問題ないですね。副作用がなかったのも腫瘍が小さくなったのも間違いなくSODのおかげでしょうね」
病気発症前は食事も不規則で体力頼みの生活だったFさん。最近は食事も三食きちんと食べるようになり、持病の糖尿病の数値まで平常になったとか。
「いやー、SODを飲むと目覚めがいいんです。朝起きたら、体も起きている。だから朝ご飯も食べようという気になる。一生飲み続けたいですね。もう少しお手頃価格だとありがたいですよね(笑)。こんなによく効くものなのだから、国も認可して保険扱いにしてもらいたいです。家内もよく言ってるんですよ。SODが買えなくて助かるものも助からないという人がいっぱいいるんじゃないかって。薬害になるような薬を認可するなら、これだけよく効くSODを認可してもらいたいですね。私は間違いなくSODに命を救われたのですから。SODのありがたさは健康な人にはわからない。私みたいに生死をさまよって初めて分かりました。ほんとうに感謝しています」
発症から数年が経った。まだまだ働き盛りのFさんは、今日も元気に立ち働いている。好きな晩酌も缶ビールロング缶3本から5本は軽い。そんなFさんを奥様がはらはらしながら見つめている。いつもの日常がこんなにありがたいと思える幸せ。
SODとの出会い、きっかけはひょんなことからだったかもしれない。けれど、それはかけがえのない命をつなぐ出会いだった。
「僕みたいにならないように、みんな健康なうちからSODを飲んでおくといいですよね」
確かに。丹羽先生も、早めのSODに限るといつもおっしゃっています。 |
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3度もがんになりながら生還
角行之さんの明るいがん闘病記 『僕は元気なガン患者』
胃がん、食道がん 角行之さん 66歳
がんなんか風邪くらいにしか考えてない
3度もがんになりながら66歳の現在、元気に最先端のIT関係の講演や講師のお仕事をされている角行之(かどつらゆき)さんが出版された闘病記を紹介します。
闘病記というと、特にがんともなると、とかく暗く、硬い雰囲気になりがちなもの。ところがこの本は、タイトルもさることながら表紙のデザインなどでも分かるようにとにかく明るい。中身も入院や手術の様子が、好奇心いっぱいの視線でユーモラスに描かれていて、不謹慎ながら何度もクスッと笑ってしまいました。
「がんなんか風邪くらいにしか考えていない」
とは42歳のときに発覚した胃がんの診断が下されたときの一言。
モーレツサラリーマンとしてお仕事をされていた角さん。無理に無利を重ねてきた結果が厄年の大病。それでも全身麻酔をかけられたときの様子を
「遠洋漁業の瞬間冷凍マグロ」
と表現したり、レーザー照射のデシベル強度を
「ウェルダンとミディアムみたいなものね」
と表現したり、洒落が効いているのです。
もちろん、肝心の治療経過や、抗がん剤の副作用に四苦八苦の様子もちゃんと描かれ、なにより興味深かったのが、60歳で2度目のがん、食道がんになられたとき、食生活を玄米食中心のマクロビオテックに変え、丹羽先生のSOD様作用食品を始め、いくつかの健康食品を愛用され始めたという事です。
「僕は、物理学を専攻した科学者の端くれであるが、西洋医学至上主義ではない。あれは人間の編み出した技ではあるが、人工的にすぎる嫌いがある。悪いところを切って捨てるっちゅうのは、あまりにも芸がない。それしか方法がなければ致し方ないが、若干でも猶予のあるときは、東洋医術のほうが理に適っている。僕は、病気は自然現象だと考えている。自然に刃向かっても負けるだけ。自然と共生する道が賢者の選択だろう。
病気というものは、生体内のバランスが崩れたとき顕在化すると教わった。がん細胞も、できては免疫抗体が殺し、殺してはまたできる。この繰り返しだが、体内のバランスが崩れると、がん細胞が居座り、勢力を伸ばすのだそうだ。このメカニズムは理解しやすい。自然食品に制がん・抗がん効果があるのは神仏の加護なのであろう。経験から得たこれらの智慧は尊いものだ。
西(西洋医学)にも東(東洋医学)にも偏らない中庸の道を模索している毎日なのである」
実際、65歳で3度目のがんが喉頭に発覚したときは、東洋的免疫力強化作戦が功をなし、レーザー治療後の経過が驚異的だったとか。また、抗がん剤の副作用にある抜け毛もなかったといいます。おそらくSODを始めとした食品たちが免疫機能を格段に上げて、防御をしっかりしてくれたからでしょう。そのことは本の中、随所に記されています。
そして、著者いわく、がんというテロ集団の巣窟に総攻撃をかけ、撲減する作戦は成功。 「白然の治癒力を最大限に引き出す体質改善を続けた結 |
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果、今日がある。会社経営もそうだが、最後にものをいうのは、抵抗力のある強靭な基礎体力という含み資産、コアコンピタンスだ」
医者と患者の関係、がんと人間の関係を経営論や戦争に置き換えてみたりして、思わず、うんうん、そうだ!とうなずいてしまう。
また、合問には3回のがんとのおつきあいで入院などにかかったお金のことや、お見舞い品のこと、ご自身が実践されているマクロビオテックのメニュー(奥様が考えて作られている)など、実用的なことも紹介されていて、読み進むうちに“よし、これでいつでもがんで入院できる準備は整った。がんよ、どこからでもかかって来い!”という気にさせてくれるのです。
それはひとえに著者の前向きな姿勢と酒落っ気のおかげかもしれません。現在がん治療中の方はもちろん、健康な方も、日本人の二人に一人はがん発病の遺伝子を持っているのですから、おすすめの一冊です。この本で、備えあれば憂いなしです。
後日、メールで失礼ながらSODとの出会いなどを質問させていただいたら、とても丁寧なお返事をいただきました。ここにその一部をご紹介したいと思います。
「SODとの出会いは、2回目のがん、食道がん発覚のときです。(2000年10月) 末期的な子宮がんから奇跡的に生還した女房の友人Tさんから、東北ビワ健康センターを主催されている伊藤先生を紹介され、その先生から勧められたものがSOD、牡蠣エキス、プシュケーです。このとき、藁をもつかみたい心境でSODなどに飛びついたわけではありません。伊藤先生から試供品として『SODロイヤル』を一箱いただきましたが、そのなかにあった説明書を読み、納得したからです。僕は科学者の端くれですから、学問的に納得しないものは受け入れません。簡潔な説明書でしたが、僕を納得させるには充分の内容で“これは信用できる”と直感しました。以来“休質改善の軸は玄米とSOD”だと決意し、現在に至っています。この判断は今も間違っているとは思っていません。
かなりいい加減な性格の僕ですが、こと食生活に関しては“玄米とSOD”を愚直に守っています。したがって“玄米とSOD”は、僕にとって“新鮮な空気と水”と同じことで、生きるための絶対条件なのです」
SODとの出会い、たいていの方は半信半疑から始められるのがほとんど。角さんのように説明文だけで確信し、愛飲される方はまれです。不思議なことに、医者、歯科医師、獣医師、といった方に同様な方が多いのは、その限界も可能性も知り尽くしている科学者だからこそなのかもしれません。
角様、ありがとうございま した。
(文中の牡蠣エキスはアミノ酸やミネラルが豊富で、プシュケーは酵母菌・乳酸薗飲料) |
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愛犬が教えてくれた
SODでみちがえたアンチエージング効果
東京都 17歳 雌 シキちゃん
丹羽先生が開発され、活性酸素除去食品として世界中で愛飲されているSOD様作用食品ですが、これを動物にも与えることができるというのは意外に知られていません。主にわんちゃん、ねこちゃんの疾患に処方され、アトピー、悪性腫瘍、糖尿病を始めとするさまざまな現代病に効果をあげているそうです。
今回は、そんなSOD様作用食品を愛飲している17歳のわんちゃんの飼い主さんにお話をうかがってきました。
東京は世田谷、わんちゃんの聖地と言われているK公園の近くに住んでいるMさんの愛犬は、トイプードルのシキちゃん17歳。犬の17歳は人間でいうと90歳くらいに匹敵する高齢なのだとか。さすがにここ1,2年は大好きだった公園にも行きたがらず、もっぱらおうちの中だけで生活することが多くなったけれど、その姿は、とても17歳に見えない若々しさ。
「よく言われます。うちにいらしたお客さんは皆さん驚かれるんですよ。さすがに最近は後ろ足が弱ってきて、フローリングの上はうまく歩けなくなりましたけど、数年前までは公園でも走っていたんですよ」
一般的に大型犬よりは小型犬のほうが長生きだと言われていますが、それにしてもシキちゃんの若々しさは別格。漆黒の大きな目が生き生きと輝き、毛もふさふさ。いったいその秘訣はどこにあるのでしよう。
「白い犬なんで白髪が目立って老けて見えることがないですものね(笑)。それにシワやシミも毛で隠れて見えないし、うらやましいですよね(笑)。秘訣といえば唯一、ほかのわんちゃんと違うことをしていると言えるのが、SODを毎日飲ませていることです。これは確かにものすごく効果的だと思います。というのも、過去に数回、SODを切らしていて4,5日あげなかったら、急に目やにが目立ち、動きも老け込むんです。それがSODを飲ませ始めると、2,3日で復活するんです。すごいですよホントに」
人間と同様、アトピーや悪性腫瘍、難病に効くとして獣医師さんがSOD様作用食品を処方されることは意外に多いと聞きます。しかし、シキちゃんのように老犬の健康維持に処方されているとは意外でした。
「それは、たまたまSOD様作用食品が人間の健康維持にすごくいいというのを聞いたことがあったのと、お友達のわんちゃんが悪性腫瘍で余命1ヶ月と言われたのにSODを飲み始めたらー年も生きて、しかもやすらかに往生したのを目の当たりにして、そのわんちゃんが通院していたジェナー動物クリニックを紹介してもらったんです。そこでSODのことをいろいろ伺ったんです」
ジエナー動物クリニックに通うようになったのは3年前のこと。当時14歳になっていたシキちゃんは前庭炎という三半規管のバランスが取りにくくなってしまう病気にかかりました。さらに白内障で目が白濁し、歯槽膿漏で |
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抜歯手術をするなど、老犬を実感する症状が次々と現われていました。
「次は問違いなく悪性腫瘍がどこかに現われ、弱っていくんだろうな。16歳まで生きられないかな、と覚悟を決めていました。だって、14歳でも立派に長寿ですから、ぜいたくはいえないなと、アルバムの整理をしたりしていたんですよ。それが、SODと出会ってから、まず、白くにごっていた目が真っ黒に戻り、食欲が戻り、はつらつとした動きが戻ってきたんです。それも処方してもらってから2週間くらいで。これには驚きました。活性酸素を除去して免疫力を向上させるというSOD。これを飲み続ければがんにもかかりにくくなるわけで、理にかなっているんだということを実感しました。ですからあわてて主人と私もSODを飲み始めました(笑)」
今、シキちゃんは元気に18歳に向かっています。飲んでいる お薬は心臓のお薬とSODだけ。
「あと、長瀬先生が勧めている手作り食も大きいと思います。ただ、私はそんなにマメじゃないので、市販の手作りもどき(写真B)を作り置きして冷凍しています。あと、長瀬先生が最近作られたレトルト(写真D 愛犬用まごころレトルトごはん きようはてを抜きました)もものすごく重宝しています。食いつきがすごくて今、シキのいちばんのお気に入りです。長瀬先生が、あのSODを作られた丹羽先生といっしょにいろいろな生薬の研究開発などをされていると聞いて、私はものすごい先生に診てもらっているんだなって、めぐり合わせに感謝しています。お友達にも勧めていて、糖尿病でインシュリン注射を毎日しているわんちゃんにSODを飲ませたら、インシュリン注射が週一になったといって喜ばれました」
たまたま住んでいた場所が、わんちゃんの医療や食生活に関心の高い場所柄だったことがシキちゃんの長寿へとつながっているとおっしゃるMさん。近所にはSODでおだやかな延命ができているがんのわんちゃん、アトピー性皮膚炎がすっかり治ったわんちゃんがたくさんいるとか。
「犬も12歳をすぎるあたりから次々にいろんな病気を発症するものです。今は犬猫の保険も一般的ですが、シキが若い頃にはそんなものなかった。病気になると医療費も月に5万円から10万円くらい普通にかかってしまう。そんなことを考えると、17歳になるまで元気でいてくれるシキはとっても親孝行ですね。結局、SODと手作り食のおかげでお友達の中で一番お金がかかっていないんですよ。SODや手作り食の大切さをもっとたくさんの人とわんちゃんに知ってもらいたいですね」 |
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SOD
J・S・R・O
Japan super oxide dismutase research organization |