夏みかん  1992年頃 「おんなのエッセイ」の受賞作(入選?/特選・入選・佳作) 佐藤 幸乃(53)

 離れて住んでいた老父が同居を決意してくれ、狭い庭をやりくりして増築したのは七年前の夏であった。
 てんと生えのみかんらしき樹も切り倒すことになった。
 築十五年の我家の屋根を越える大樹なのに、いまだ一個とて花も実もつけない。夫はのこぎりを下げて庭におりてきた。
 とはいえ常緑のこの樹の下で、三人の息子が遊び育った歳月を思ってか、夫は
 「さて」と梢を見上げる。
 「お、あれはなんだ、あの丸いやつ。実じゃないのか、おい」 夫の指先をたどると、たしかに緑色のゴルフボールのような木の実が一つ。
 命乞いである。どうしてこれが切り倒せよう。
 「やめて!お願い」私は夫に取り縋った。
 「父と住むのが嫌なのか」 これはまた何という言い掛りか。
 夫がそれを言うのなら、私とて言わせて貰おう。
 老父との同居に何のためらいも無いといったら嘘になる。ふるさとの父は、近くに住む娘たちの気遣いと数軒の貸家で何不自由無い暮らしと、夫は言っていた。
 その夫が母親の二十七回忌で父の家に一泊して帰ってくるなり「台所にチャバネゴキブリが五万匹もいた。俺は二時間もかけて電気釜を洗ってきた。俺はこの家に父を引き取る」と、一方的に宣言したのである。
 次の日、夫は町役場に三lの利息で借りることができる老人居室の融資を願い出た。
 風が吹けばビンボーと泣くシュロヤシの木も、何か良い事があるかもしれないと思って育てたなるみの木も切ってしまった。
 夫にしてみれば、晴ればれとなった庭の有りさまに引きかえ、座り込んでいつまでも切り株を見つめている妻がうっとうしい。
 妻にしてみれば、庭の草一本抜くことも無かった夫の豹変がうらめしい。
 頼む、済まないのひとことも無しに「嫌なのか」とは恐れいる。
 命乞いの樹を挟んでの口論は真夏の夕空に飛び火して果てしない。
 それでも話はいつしか折り合い、老人居室の屋根すれすれに、その実が黄金色に輝き始めた十月、ようやく父がやってきたのだ。
 父は足元こそおぼつかないが、身の回りの事は何もかも自分でする簡素で合理的な生活者であった。
 ある日、昼食のソバを食べながら、ポツリと父はつぶやいた。
 「おいしいなあ。具の入ったソバは何年振りかなあ」 その言葉は父の晩年の全てを物語っていた。
 ソバの上のネギにさえ感謝してくれる父と、なぜもっと早く共に暮らそうとしなかったのか。
 私の胸は、父への申し訳なさにふるえ、木の実にかこつけて異議を唱えた夏の日を恥じた。
 私たちはその冬、三個の初なりを収穫し、二個を鏡餅の上に乗せ、一個をみんなで分けあって食べた。
 とびきり苦く、酸っぱく、みんなの口はしびれて曲った。
 「おじいちゃん、これは何の実だろう」 「橙というんじゃないのかな」 「僕はこいつが来年なっても絶対食べん」 断言する三男に、家族は腹を抱えて笑った。
 まさか父が、この家に来て半年後、八十三歳の生涯を閉じる事になろうとは誰も予想だにしなかった。
 父はある朝新聞と牛乳を手に持ったまま倒れ、そのまま逝った。
号泣する夫の背中にみかんの花びらが散り掛かる五月だった。
 七年は残酷に過ぎた。わずかなといえるかどうかは判らないが、亡父の遺産整理は「私たちの大切なお父様を死なせた」とする者達との間でねじ曲り、借家人との協議もままならなかった。
 そして三人の子供たちの受験と巣立ちがあった。夫の頭髪はまっ白になった。
 みかんの収穫量のみ増え続け、今年は二百個ほども重々しくぶらさがり、樹は粋もたえだえの様子。
 三男が大阪に旅立って二人家族となったその日、夫は老人居室の屋根にのぼって樹から荷を降ろしてやった。
 収穫物はダンボール箱に山積みして門の外に置き、立て札を立てた。
 「どなた様もご遠慮なくお持ち帰りください」 三日目、ついに箱は空になり、中に手紙が入っていた。
 「とってもおいしかった。ありがとう」「来年もお願いします。おいしい夏みかん」 ふーん。あんた夏みかんだったんだ。
 それにしても一つぐらい食べてみればよかった夏みかん。
 見上げれば枝のことごとくに昨日まで決して無かった矢羽のような新芽が一斉につき出して、樹はまるで若妻のよう。
 白い花の匂いが庭に満ちて、黒あげはが飛来する季節が間近いことを、樹がどうして知るのか、不思議である。