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感謝の心(ある本に、ある僧侶の言葉として)   皆さんはこの世に人間として生まれました。実は、それだけでも大変に幸運なことなのです。まして日本という、他に類のない化学・文明の発達した、また物質的にも大変豊かな国に生まれてきました。これはもう、幸運中の幸運です。そのお陰で皆さんは当たり前のように思っているかもしれませんが、一度だって食事に事欠いたというようなことはないでしょう。
  また、どこへ行くにも発達した交通網のお陰で、スムーズに移動することができます。今日私のところに来るのに、三時間かけて歩いてきたなどという人は多分いないでしょう。それほど私達は恵まれた環境にいるのです。ただ恵まれすぎて慢性的になり、自分がいかに幸せであるかを忘れてしまっているのです。 そのため愚痴っぽくなり、不平不満をいい、心が荒廃して慢心が強くなってきているのです。
  私たちはそのような慢心を捨て、ここらあたりでもう一度謙虚になって感謝の心を育んでいく必要があるのではないでしょうか。
とあった。
  まさに現代社会、すべての分野でこの感謝の心こそ欠落の最大のものというべきであろう。しかし年をとれば丸くなるという古来の言い習わしは、これまた現代には当てはまらず、加齢とともに世に腹立たしきもの多々ありて、
〈ステープラの針〉:急ぎ使いたいときに限って、ガチャリとやると手応えなくだらしなく空を切り、針の補充を慌しくやらねばならぬシチュエーションに追い込まれるのはどうしてなのか。どうあってもこんな確率でスカを打つはずはなさそうに累々と並んだ針の列を見るほどに腹立たしさがつのる。
〈電気製品のコード〉:どうして毎回初期段階であんなに絡まっているのか。一方を持ってタグルと結び目が必ず1個はできるのはどうしてか。人為的な所作(電話機のコードに関しては、絡み防止で螺旋状になっているにも拘らず、送受器を徒に持ち替え、ねじれを作って平気な輩には、腹が立つより人格を疑うが)なしに(といっても、人間が扱わない限り絡みなどは起こりえないのだから、これも動かす際に留意してコードを捌きさえすれば問題ないのであろうが、通常そこまではやらない・・・のが普通と思う)絡まって結び目のできてしまったコードをほぐすのは、実に苛つく作業であり、電気製品にコードがある(必要な)こと自体に腹立たしさを感じる。
〈ワード〉:勿論ワープロソフトのワードのこと。英語環境を日本語に押し付けたに過ぎない変換機能、一代前のバージョンまではページの途中任意の場所から書き始めることさえできない(改行とスペース入力を繰り返すことによりやっと要求する位置にたどり着ける)、改良された現在でも未入力域へ飛ぶにはダブルクリックを強いられる(キーボードからはカーソル*1)を移動できない)という、一事が万事真にへんてこりんなソフトでありながら数の論理に押し切られ(VHSvsベータを思い出すが)、正にワープロソフトのスタンダードとなってしまったことは嘆かわしく、使用のたびに苛立ちを覚える(メーラーのアウトルックエクスプレスは未だにワードの旧バージョン同様、改行・スペース打ちを重ねないと未入力域にカーソルが移動しない)。
  ところで、車に対する腹立たしさはなんだろう? 車についてはえこ贔屓があって苛立たしさを感ずる点が見つからない(感じないのは私だけ?)のだろうか? 操安性を含めた安全性? 運転の楽しさを犠牲にしない限り異次元の安全性は無理であることは分かりきっている(電気製品のコードをなくすよりもっと非現実的であろう)ので個人的には望まないし、現状に苛つくことはまったくない。   モアパワー・スピード? 人間の身体能力に頼る部分を残した(つまり運転を楽しめる)今ある姿の「車」を継承していく限り、ブレーキングの一点に絞っても150km/hを超える速度域は、いくら機械的にストッピングパワーを増しても、人間の側の諸々の資質により非現実的であろう。 一点だけはっきりしていることは(と思うが)、モアスピードを求める者のほとんどは、200・300km/hという絶対的なスピードを求めているのではなく、他人より早く走るという相対的スピードを求めているのである。
  車に対する腹立たしさはないと言ったが、車"社会"となると特に運転中に遭遇する腹立たしさは勿論しょっちゅうある。
  往年のF1チャンピオン、スターリング・モス(だったと思う)の言葉に、「男は、セックスと運転が下手だといわれると腹を立てる」というのがあったし、これもずっと以前、タモリのアルタにゲストで出ていた女性心理学者がいみじくも言っていたとおり、「運転中は他人より損をさせられたと感じると腹が立つ」もので、直前は言うに及ばず、数台前の割り込み(入られた車への苛つきのほうが大きい場合が多いが)、ただ単に隣の車線の進みが速いというだけで苛つきもする(私だけ?)。
  上の僧侶の言葉を思い出し、運転は感謝の心で走行すべし。
*1) "カーソル"とは、『MS-DOSの画面において、文字の入力位置を示すポインタのこと。ところが、WINDOWSの画面においては、このポインタはキャレット(caret)と呼ばれ、マウスの位置を示すポインタが「カーソル」とよばれる。』と、「英辞郎」にあった。したがって文中の用法は今では間違いということになる。
*2) スターリング・モスは、一度も年間王者にはなっていないので、上記“チャンピオン”も誤り。

2003. 3.31 荒牧 啓介
 
八っつぁん 「ご隠居、人間はどうして生きてるんでしょう?」
ご隠居 「八っつぁんや、お前さんも今までにとても嬉しいことに出会って、『ああ、生きていて良かった』と思ったことが一度や二度はあるだろう。」
八っつぁん 「そりゃぁあっしだってそんなこたぁ何度かありますよ。」
ご隠居 「八っつぁん、人間は、『ああ、生きていて良かった』と思うために生き続けてるのさ。ところで八っつぁんはどんなときそう思った?」
八っつぁん 「そうですね、あっしゃやっぱりなんですね、ご隠居も知ってるとおり、かかあが癌で胃袋取っちまったでしょ、その手術のあと麻酔から醒めたときが一番嬉しかった気がしますね。」
ご隠居 「そうかい。命がある、生きてるってことが一番ありがたいことなんだよ。命と言やぁ子供が生まれたときなんぞも嬉しかったろう。」
八っつぁん 「そうそう、あっしんとこはガキが遅かったんで生まれた時ゃぁほんと嬉しかったね、ガキを一人前にする苦労があるなんてぇことは、そん時ゃぁこれっぽっちも思いつかねぇで有頂天でしたよ。」
ご隠居 「そうだろう、子供というのはそういうもんだよ。成長につれ心配も絶えないが、無邪気な子供の間、精一杯親を嬉しがらせ楽しませてくれているんだよ。その恩返しに親は一生懸命子供を育てなければならないんだよ。」
八っつぁん 「言われてみりゃぁ全くそんとおりですね。というこたぁ、あっしを生んでくれた親に感謝しなきゃいけねぇってことですかい?」
ご隠居 「八っつぁん良いところに気がついたじゃないか。全て『感謝の心』ということだよ。」
 
※『明鏡国語辞典』編者 北原保雄 編、『問題な日本語』(大修館書店 2005年2月発行)によると、
−−−「おとっつぁん」、 「ごっつぁん」、「八つぁん」は正しい表記だが、 「八っつぁん」とはしない。
−−−とあった。
したがって、上の表記は誤りとしなければならないか。



− 荒牧 千e Aramaki Kazuhide −
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