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心霊にはまった近代人 ホームズ生んだコナン・ドイルの数奇な人生

 毎日新聞 2023.6.10
 「バスカビル家の犬」の舞台となったダートムアのグリムズパウンド遺跡=英南西部ダートムアで2022年11月12日、篠田航一撮影

数メートル先も見えない霧の中、突然、道路に巨大な牛が現れた。タクシーの助手席に座っていた私は驚いて絶叫してしまった。運転手もつられて大声を上げた。


英南西部デボン州ダートムア。最高地点は海抜600メートルという霧深い高地で、ごつごつした岩が点在する荒野の中、放牧の牛や羊が道路をのんびり歩いている。名探偵シャーロック・ホームズを生んだ作家、サー・アーサー・コナン・ドイル(1859~1930年)の代表作「バスカビル家の犬」(1902年)の舞台だ。ホームズ物語は長編4、短編56の計60作品あるが、中でも屈指の人気を誇るのがこの長編である。コナン・ドイルは本来は「複合姓」で、これで一つの名字と言えるが、ここでは便宜上ドイルと記す。


物語は冒頭から不気味な雰囲気に彩られている。古来、黒い魔犬が出るとの伝説が残るダートムアで、名家バスカビル家の当主が不審な死を遂げた。周囲には巨大な犬の足跡が残っており、犬を見たショック死とみられる。本当に魔犬が出たのか。ホームズは助手の医師ワトソンと調査に乗り出す――。


 コナン・ドイル=ゲッティ共同

「なぜ作品が魅力的なのか。やはり『二つの英国』がよく描かれているからだと思います。魔犬伝説が残る土俗的な地方と、合理主義者ホームズが住む近代都市ロンドン。この二つの融合が絶妙なのです」

アイルランドの大学、トリニティー・カレッジ・ダブリンでホームズ作品の研究に取り組むダリル・ジョーンズ教授(55)は、そう解説する。英ウェールズ生まれで、自身も子どもの頃に最初に夢中になった作品が「バスカビル」だという。


ある新聞記者との出会い


ドイルがこの作品の雑誌連載を始めた1901年当時、ロンドンは約650万人がひしめく大都会。その一方、田舎ではまだ黒い犬の姿をした不吉な妖精の存在が語られていた。


「この名作は偶然の産物でした。一人の青年との出会いがなければ、世に出ていなかったでしょう」とジョーンズ氏。医師でもあったドイルは1900年、南アフリカの第2次ボーア戦争(1899~1902年)に軍医として従軍した。そして帰りの船で、バートラム・フレッチャー・ロビンソンという新聞記者と知り合った。


帰国後、ロビンソンは少年期を過ごしたデボン州の魔犬伝説をドイルに話す。興味をそそられたドイルはロビンソンと共に現地取材に出掛け、作品に登場する青銅器時代のグリムズパウンド遺跡などを見て回った。取材を基に雑誌で連載を始め、単行本が出版されたのは1902年。この時、ドイルは42歳だった。


 英ハダースフィールド大学のメリック・バロウ英文学科長=本人提供

だがその前から、ドイルは不思議な話にひかれる傾向があった。死後の世界に興味を持ち、20歳の時には「死は全ての終わりか」という講演を聞いている。「心霊に本格的に関わったのは、ホームズを書き始めた1880年代です。この頃、テレパシーや霊媒の存在を信じ始めました」。そう説明するのは、ドイルと心霊の関係を研究する英ハダースフィールド大のメリック・バロウ英文学科長(54)だ。


ドイルは20~30代の若い頃、英南部ポーツマス郊外サウスシーで診療所を開いていた。のどかな海沿いの町で彼は「ウィジャ盤」という日本でいえば「コックリさん」のような降霊会にも度々参加した。


こうした趣味が色濃く出たのが「バスカビル」であり、ジョーンズ氏は「限りなく超常現象に近付けた小説」と分析する。


 地下鉄ベーカーストリート駅構内に描かれた「バスカビル家の犬」を紹介するイラスト=英ロンドンで2023年5月4日、篠田航一撮影

ホームズのモデル


名作誕生のきっかけを作ったロビンソンは1907年、36歳の若さでチフスにより急死する。ドイルは後年、これは「ミイラの呪い」と語った。ロビンソンは大英博物館の古代エジプトのミイラを取材していたからだ。いずれにせよ「ロビンソンなくして、バスカビルなし」(ジョーンズ氏)なのは確かだ。南アから帰る船で偶然に2人が出会った奇跡が、名作を生んだのだ。  


ドイルはこうした幸運な出会いに恵まれていた。有名なのは、母校のエディンバラ大医学部時代に知り合った恩師ジョゼフ・ベル博士である。  


ベル博士は患者を一目見ただけで、来歴を言い当てる特技を持っていた。例えば「あなたは軍隊にいて、最近除隊しましたね。(英領西インド諸島の)バルバドス駐屯でしたね」というような推理だ。  


なぜ分かったのか。まず患者は入室したのに帽子を取らなかった。帽子をかぶり続けるのは軍隊では普通だが、おそらく除隊して間もないため、まだ市民の作法に慣れていないと推測した。患者が訴えているのは象皮病。これは皮膚が象のように厚く盛り上がってくる病気で、西インド諸島に多い。実際、推理は全て当たっており、博士の助手を務めたドイルはその観察眼に仰天した。この恩師をモデルに考案したのが、合理的推理を身上とするホームズである。だがその姿は「心霊主義者ドイルとは別の方向」(ジョーンズ氏)でもあった。


 英エディンバラの通りに設置されたドイルの生家跡を示すプレート=英エディンバラで2022年6月20日、篠田航一撮影

知的で論理的なキャラクターを生んだ近代人ドイルは、なぜ心霊の世界にはまっていったのか。謎に彩られた作家の数奇な人生をたどった。


ホームズ作品に登場する日本  


飲食店などが建ち並ぶ建物の外壁に、小さなプレートを見つけた。英北部スコットランドの古都エディンバラのピカーディ・プレースという通り。プレートはコナン・ドイルの生家跡を示している。人通りが多いせいか、立ち止まる人はいない。通行人にドイルについて尋ねると「彼は町の誇り」(50代男性)といった声の一方、「私はエディンバラ生まれだけど(生家跡は)知らなかった」(30代女性)との答えも返ってきた。ドイルは1859年5月22日、このすぐ近くで生まれた。ドイルに直系の子孫は残っていない。


 日暮雅通氏=本人提供

父のチャールズはアルコール依存症がひどく、幼少期のドイルは「避難」する形で一時期、母のメアリーの知人宅にいた時期があった。そこで知り合ったのが、ウィリアム・バートン(56~99年)という人物である。  


「ドイルにとっては子ども時代におそらく初めてできた友達で、終生の友となりました。後年、技師になったバートンは明治期の日本に『お雇い外国人』として招かれています」。日本のホームズ研究の第一人者で、多くのドイル作品に関わった翻訳家の日暮雅通氏(68)は話す。  


「バルトン先生」と呼ばれて親しまれたバートンは、東京帝国大で教え、日本の下水道整備やコレラ対策に奔走。当時最先端の高層建築「凌雲閣」(浅草十二階)の設計にも携わった。その傍ら、日本に関する話をドイルに伝えたとされる。バートンは東京・青山霊園に眠っている。  


ホームズ作品には、実は日本が度々登場する。例えば短編「高名な依頼人」には「聖武天皇」「奈良の正倉院」とのせりふが出てくる。「こうした細かい知識を誰から仕入れたか。それがバートンだった可能性は大いにあると思います」。日暮氏の推察だ。  


ホームズは、いわば日本のおかげで命拾いもしている。短編「最後の事件」では宿敵のモリアーティ教授と格闘し、ホームズはスイスの滝つぼに沈んだ。だがその後、短編「空き家の冒険」で、ホームズはひょっこりロンドンに舞い戻る。ドイルはここで、ホームズが日本のバリツ(Baritsu)を使って教授の攻撃をかわし、実は助かっていたという設定にした。  


さて、バリツとは何か。武術、馬術といった「近い」日本語は浮かぶが、よく分からない。日暮氏は「諸説ありますが、バーティツ(Bartitsu)だと考えられています」と説明する。前述のバートンと名前が似た別人で、同様に明治の日本を訪れた英国人ウィリアム・バートンライトが、日本の柔術やボクシングの要素を取り入れて考案した護身術が当時、彼の名を取ってバーティツと呼ばれていた。これをドイルが誤記した可能性があるという。


妖精の実在を主張


 1917年に英コティングリーで撮影され、ドイルが「本物」と信じた妖精の写真。この写真の少女らは後年、トリックを認めた。
ⓒScience & Media Museum/ Science Museum Group

ドイルは活動的な人物だった。ボクシングやクリケットが好きなスポーツマン。国政選挙に2回出馬し、落選。インド系の弁護士が巻き込まれた冤罪(えんざい)事件では、その疑いを晴らすべく奔走するなど正義感も強かった。そしてホームズにバリツを使わせるなど、とにかく「新しもの好き」だった。1863年に世界で最初にロンドンで開通した地下鉄も短編「ブルース・パーティントン型設計書」に取り入れ、鉄道ミステリーに仕立てる。自身で自動車も運転し、後期の短編「三人のガリデブ」などでは電話も登場させている。  


一方で別の顔もあった。それが心霊主義者としての側面だ。そのイメージを決定的にしたのが「コティングリー妖精事件」である。  1917年、英中部コティングリーで、16歳と9歳の少女2人が家の近くの小川で写真を撮った。そこには羽が生えた小さな妖精が写っていた。3年後の20年にこの写真が話題になると、ドイルはネガを専門家に調べてもらい、二重写しなどの不正はないと結論付ける。そして新聞寄稿などで「地球上には不可思議な隣人(妖精)が存在している」と主張した。  後年、少女2人は捏造(ねつぞう)を認める。トリックは単純で、妖精の絵を切り抜き、ピンで木の葉に固定して撮っただけだった。  


妖精事件の背景を調査する英ハダースフィールド大のメリック・バロウ英文学科長(54)はこう語る。「ドイルは自身を科学的思考の持ち主で、証拠の評価に厳密な人間だと信じていました。むしろ心霊を科学として捉えた面もあります。しかし彼はそもそも妖精を『信じたかった』のでしょう。ドイルは写真を知人の物理学者らに見せて意見を求めましたが、実はその人たちも半分、霊的な世界を信じる人たちでした」  


バロウ氏は、ドイルの心霊好きには少年期の体験が影響していると指摘する。ドイルは厳格なカトリックの学校に入学したが、その雰囲気になじめず、やがて「自分は無神論者」と言い始める。「宗教に代わる信仰心が、ドイルの場合は心霊やオカルトに向かったのだと思います」。また、アルコール依存症だった父のチャールズは画家でもあったが、父がよく描いていたのが「妖精」だったという。


 ベーカーストリート駅前に建つホームズの像=英ロンドンで2023年5月10日、篠田航一撮影

ドイルが妖精の実在を主張した20年は第一次大戦(14~18年)の直後で、彼は深く傷付いていた。従軍後に帰国した息子や弟が18~19年、病気で次々に世を去ったからだ。  


この時期、ドイルは死者を呼び出す「降霊」に一層のめり込む。自伝「わが思い出と冒険」(延原謙訳、新潮文庫)の中でドイルは、亡き息子を呼び出して「私の息子が戻ってきた」と喜び、息子や弟と会話したと記している。推理作家の「後輩」に当たるアガサ・クリスティー(1890~1976年)が26年に一時期失踪した際は、知人の霊媒師を使って彼女の居場所を捜しだそうとした。  


こうした言動に対し、教会などからは「彼は平静な心を失った」と批判の声も上がった。だがドイルはこれに反発し、むしろ霊の存在を読者に広めようとした。その宣伝役に使われたのが、1912年に出版され、後に映画化もされたSF小説「ロストワールド」(失われた世界)の主人公で、動物学者のチャレンジャー教授だ。ドイルは26年、死後の世界の存在を描く小説「霧の国」にも教授を登場させている。  


一つの疑問が湧く。世間への影響力を考えた場合、なぜホームズを使わなかったのか。  「ドイルはホームズを一貫して『理性の人間』として描いてきました。超常現象的な推理はなく、合理的解決を続けてきたため、二の足を踏んだ部分はあると思います」。日暮氏はそう話す。  


ホームズを研究するトリニティ・カレッジ・ダブリンのダリル・ジョーンズ教授(55)もこう推測する。「魔犬を題材にした『バスカビル家の犬』は超常現象に近い作品でしたが、最後は論理的に解決させます。ドイルは偉大なプロの作家であり、大衆がホームズに心霊を求めないと知っていたのです」


 ロンドン支局・篠田航一

ドイルは30年7月7日、71歳で世を去った。死後の世界を信じた彼は、死の直前にこう書いている。「読者は、私がたくさんの冒険をしてきたと思うでしょう。何より偉大で輝かしい冒険がこれから私を待っています」  


ドイルは世を去ったが、むしろ今もこの世にいるのはホームズかもしれない。住所である設定のロンドンのベーカーストリートの駅前にはホームズの像が建ち、近くのホームズ博物館には観光客の姿が絶えない。  


ホームズは長編「四つの署名」で、何よりも大切にしているのは「冷静な理性」と言っている。心霊主義者ドイルが生んだ理性の名探偵は今日も、世界中の読者と共に事件解決に奔走している。


篠田航一(しのだこういち)(ロンドン支局長)  1997年入社。甲府支局、東京社会部、ベルリン、カイロ支局などを経て現職。著書に「ナチスの財宝」など。


毎日新聞 2023. 6.11



毎日新聞 2023/6/17

北九州も福岡に続け? 大丈夫?
解体後新施設建設中の大名小学校-Googl Map ヨリ



上図、上方クレーン車の位置にこの リッツ・カールトンが入る福岡大名ガーデンシティタワーの完成を見る。

毎日新聞 2023. 6.21

西日本新聞社撮影:芝生広場側から見た大名ガーデンシティタワー ヘリポートもある


過日話した、小学生の描いた空想の街




博多山笠事故’23’ https://www.youtube.com/watch?v=aCm1X91VP0k



- 荒牧 千琇 Aramaki Kazuhide -
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