談志が死んだ2011.11.21(75歳)
06年5月 高座でガハハ笑い。ダイナミックさも魅力だった立川談志さん。21日、咽頭がんのため都内の病院で亡くなった。75歳だった
(日刊スポーツ)

昭和46年7月、初登院した参院では先輩の青島幸男、山田勇(横山ノック)両議員
と並び、本名「松岡克由」の氏名標が置かれた議席で笑顔を見せた
既にこの時より40年、当り前ともいえるが3人とも鬼籍に
五代目三遊亭円楽さん(左)と対談し、少年のような笑顔を見せる立川談志さん
関東の落語界を背負った巨星の貴重なツーショットだ=1978年10月

どこでも笑顔を絶やさなかった立川談志さん(右)。ケーシー高峰(中央)、毒蝮三太
夫と=1997年10月8日、漫才師、内海好江さんの通夜で

立川談志(落語家)【撮影日:1998年04月28日】


毒舌全開で師匠や政治家時代について語った立川談志さん。BSフジで再放送される=2008年
立川談志さん=2010年8月6日午後、東京都中央区銀座(渡守麻衣撮影)


日本一の落語家 TOWN MOOK 2012. 4.15 ヨリ

例えば談志・たけしなどに対してネガティヴな発言はなかなか難しい。「良い、いい」と言われているものを評価しないのは自分の不明を晒していると受取られかねない懸念からであるが、追悼の際にこのような 真っ当な文章に出会えた。
P15・2段目、段落後にある「談志の良かったのは50代・・・・」。
同じようなことを5代目圓楽は自身の引退表明後週刊誌の対談で、いい噺家はいるかと訊かれ、「談志も若い頃はいいと思いましたが、近頃は駄目になりましたね」と、ここの筆者と同じような考えを述べていた。
ようするに(へ)理屈をこねくり回さず、噺すことに没頭していた頃はもともと“上手い”のだから“面白い”(=いい)噺家であった。
※この辺りのことはずっと以前に思っていたことである。⇒談志訴訟(−私見−の最終段・1999. 2.11)

この稿のあと筆者の塚越 孝が自死し、本ページはダブル追悼となった。


− 荒牧 千e Aramaki Kazuhide −
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