まるで「ジブリ」 九大の森
西日本新聞 2018.4.1

九州大と福岡県篠栗町が同町で一般公開している「篠栗九大の森」の風景画像が、「まるでジブリの世界」などと、会員制交流サイト(SNS)で話題だ。
目を付けた旅行会社がバスツアーを組むなど、突如として観光地化し、ここ1年で訪問者が急増。開放は地域住民の散策などを想定し、観光地としては整備していなかったため、交通渋滞が頻発、森が 荒らされるなどの問題が発生し、九大と町は対応に苦慮している。
篠栗九大の森は、九大農学部福岡演習林(約480ヘクタール)の一部。九大が研究のため植林した桜やモミジなど約100種類の樹木が四季折々に姿を変える。2010年度に「地元住民の健康づくりとヒーリングのため」17ヘクタールが一般開放され、大学と町が遊歩道や広場、駐車場などを整備した。
九大によると、来訪者はこれまで年間2万人程度だったが、17年年春ごろから急増。紅葉の季節の同11月は1カ月で約3万人に上り、17年度の累計は2月までで12万人を越えた。毎週散歩に来る近くの男性(80)は「静かな森の雰囲気が変わった」という。
きっかけはSNSに投稿された針葉樹ラクウショウの画像とみられる。北米の湿地帯などを原産地とする落葉高木。九大の森では池の中からそびえ、水面に樹影を映す。幻想的な風景を見せることから、SNSには「絵画のよう」「ジブリの世界」などの書込みが相次ぎ、「福岡のインスタの聖地」とさえ呼ばれる。
注目した旅行会社がバスツアーを組み、今や佐賀県神埼市の名勝「九年庵」などと並ぶ観光地として紹介する旅行広告もある。
-------------------------------------------------- --------------------------------------------------
篠栗町も九大も当初は「PRになる」とテレビや旅行誌の取材に積極的に応じたが「想定以上の人気」となり困惑しているという。2カ所ある入口に整備した駐車場(計50台)は乗用車向けで、大型バスは利用できない。
観光バスが片側1車線の町道に停車して客を乗降させ、後続車が詰まることもある。大型連休や紅葉の季節となるとバスが連なり、渋滞が頻発するという。
自然保全のため遊歩道や広場以外は立ち入り禁止だが、森や池に入り込んで写真を撮る人も少なくない。規制の看板やロープを設置して歩く九大技術職員の南木大祐さん(33)も
「広い森で苦労する。本来業務の研究補助が手に付かない」と困り顔だ。篠栗町は、踏み荒らされた森の回復のため一時閉鎖などを検討中。
バスの駐車場整備も検討したが「ブームがいつ終るか知れない。住民のための森なので、観光地としての整備はしない」と見送った。
「交通の便が悪い場所だが、訪問の際は、なるべく公共交通機関の利用を」と呼びかけている。
開場は毎日午前6時〜午後5時。
(鶴加寿子)

2018.5.26 訪れてみた。 上の記事から混雑、駐車場の心配など不安と共に現地へ向ったのだが、全くの取り越し苦労に終った。新聞等の喧伝により逆に敬遠者が増えたか、或いはゴールデンウィークに集中した端境期が幸いしたのか、人はまばらでこちらのペースのままゆっくりと散策できた。



ポスト オリンピック
 
  平昌五輪といえばヤハリ高梨は外せないか。

プレオリンピックの紙・読者期待度ナンバー1だった高梨。私見はともかくとして、 五輪で現在の実力は発揮し3位に入ったことで良い方向へ一息ついた感があった。

(それにしても、今回オリンピックのこの競技に関しては3位まで見事に今シーズンの実力どおりに収まった結果というものは非常にマレであった)。

54勝というのは時間の問題でもあったが、予想を遥かに上回った早さでもあったし、55勝も翌日の同地ということを差し引いてもこれまた予想外の早さだった。

今季最終2戦、常勝のルンビが不調、14/15シーズンW杯覇者・イラシュコが2位に入るなど、高梨の勝利も含めて異例づくしの最終盤であった。
 
NETで高木の得点とともに優勝を前日に知ったが、2位の得点が書いてないわ、そもそも点数そのものの意味がわからず“勝ちっぷり”を知りたい身としてはもどかしさが残っていた。
それが上記の得点配分記事によりやっと理解できた。
逆に考えると、最終種目5千Mを前に11.61秒優位であることは5百Mで18秒(5千M換算で)稼ぎ出していることが如何に大きいかが理解できる。
西日本新聞 2018. 3. 6

※ 2019年記:今年の高木は、マルティナ・サーブリーコヴァー(チェコ)に破れ2位に終った。


平昌オリンピック
 

2018 2.25
最後にこれはまた“望外”(藤井六段の多用語であるが)の金がもたらされた。最終盤、先頭にピタリと張付き続ける高木に、 実況アナは「このままなんとか(「持ちこたえろ」を飲み込んだ?)」と、ここからの再スパートで金は予想してなかった。 このマススタートレース後、高木奈菜が美人に見えてきたのが不思議。例により笑えるスレ
http://pimantimes.blog.jp/archives/7616459.html
2018. 2.24
実は今回カーリング女子にはあまり期待していなかった。というのも、2016年の世界選手権で2位となってはいるが、優勝のスイスに対しては3度戦って(ページシステム?とか云う特異な優勝決定方式で、暫定1位以外の優勝有資格チームは決定戦で2度戦える。その2戦と予選リーグ1戦との計3度)全て完敗している。
テニスなどに較べてランキングに“忠実”ではない競技だとはいえ、スイスとの差は歴然だと思ったから。
といっても、ランキング8位の韓国が銀を獲るなど(というより、一次リーグで1敗(それも日本以外には全勝)で勝ち上がるなど予想だにできないことで、スイス、カナダの不甲斐なさは目に余るものがあった。

←韓国で大人気の藤沢

↑バンクーバーでは19歳の天才スキップ、平昌では8歳を加えたイヴ・ミュアヘッド
一次リーグで韓国に唯一黒星をつけたLS北見については、下のような懸念がついてまわっていて、準決勝の同一対決では“地”の悪いほうが出て同じ延長戦でもここでは敗れた。
西日本新聞 2018 2.26
略歴にもあるとおりここで「解説」しているのは、LS北見と五輪出場を賭けて敗れたチームのスキップである。
解説者の地位として少々“奇異”に感じるのは私だけか。

西日本新聞 2018 2.16

2018. 2.18 23:00
フィギュアに何の関心もない私にとって(昨日の最大の関心事は平昌じゃなく藤井4〜6段であった)、今日はまさに安堵の日となった。
絶対的本命視されていた小平の金については、ソチの高梨と真逆な展開で片方はメダルにも届かず、一方は期待・予想そのままの結果を得た。
小平の今日のレース、小平にとって(素人の私には)二つの幸運があったと思えた。
一つめは、「レディ」からピストルの鳴る直前小平がピクリと動いたにも拘らずフラィイングを取られなかったこと。
二つめは、 最大のライバル李相花の一つ前の組で36秒台の速いタイムを出し、李相花に力みを生じさせたと見る(これも素人考え?、逆のことが1000M ではテルモルスとの間に起り、小平は金を逃した)。


二人の表情が実にいい。小平からは、慈愛・感謝、李相花からは、安堵・希望といったものが読み取れないだろうか。
(李相花がインスタに載せたものというから、おそらくは友人・素人が撮ったものを貰ってアップしたのだろう、下の玄人のものに較べ“質”は明らかに落ちるが)
↓大歓声の日本観客に向け次組李相花のスタートに静粛を促
す小平。
2018. 2.17 9:00
競技も進んできた今日・2月15日、辛口を旨とする自分でさえ未だ甘かったと反省する事態となっている。下にあるとおり、アウトスタート不利を地でいき金を逃した小平(優勝者のスタートがどちらだったかも知らないが、インスタートの高木との差は 過去最小ではなかったか?)。
平野もショーンを越えられずこの調子でいくともっとも金に近かった、小平の500M、高木のパシュートさえ磐石とは言えず、下手をすると今五輪に金ナシの現実も見えてきた。
私の範疇外の羽生がこの後SPを終えて金に最も近いところに来、下の共同通信予想6個のうちの1個が見えている(今期羽生が負け続けのライバル、ネイサン・チェンがこの五輪絶不調のチャンスも来ている)とはいえ、旨くいっても金は予想の半分でしかないところまで追込まれた。
それにしてもジャンプ女子はW杯ランクどおりで、これほど実力がそのまま現れた稀有の結果は本当に珍しい。        
--コノ稿、僅かに更新が遅すぎた--
 西日本新聞 2018.2.14



プレ オリンピック --以下は国内向けのプロパガンダ
 

← 西日本新聞 2019. 1. 9
(共同通信社運動部・担当記者予想)

この日になってやっと私見に近いものが専門家によって示され、わが意を得たりといったところ。

スノーボードに関しては残念ながら、範疇にないのでコメントのしようがない。渡部暁斗は波が大きくトップを狙えるともいえるが銀が安泰とも云い難く、身贔屓な位置と思わなくもないが。

身贔屓という点から同じことは、羽生・高梨・郷・高木(奈那)・宇野についてもいえることだが。

※ 私見については次項・コメント欄
 西日本新聞 2017.12.12
 西日本新聞 2017.12.10

西日本新聞 2018. 1. 1
(コメント)
本アンケートの結果を見てなんと日本人は現実直視ができなくて、フィギュアスケートがどうしてそんなに好きなのかに大いに呆れた。
まず、期待のトップがこともあろうに高梨(前回五輪、世界選手権でも金を逃し続けている)、一昨年までならいざ知らず今年の不調さ、さらに世界の成長をはたして認識しているのか。
フィギュアスケートがオリンピック種目であることさえ疑問を持つ私としては、俎上に載せることさえ不本意であるが、羽生の位置は表彰台に足が掛るかどうか、高梨より少しだけ上にいるか?といったところだろう。
さて、それならば金に最も近い種目・選手といえば誰の目にも明らか、「男子500mで金の可能性は6人にある、女子は1人」と他国の記者も認めている小平、それに世界新連発圧勝している高木美帆率いるパシュートであることは論を待たない。

ページトップへ


日本では横断歩道で車はとまりません
 
 Asahi 2017.11 .9 05:00 http://news.asahi.com/c/alekctsmdgoIi6ad

 私が日本に来て、とまどったことのひとつは、日本は「信号機のない横断歩道は車優先」ということだ。私の母国のイギリスでも、先日訪れたオーストラリアでも、横断歩道に歩行者がいれば必ず車は止まる。それがルールだからだ。日本で育った私の子どもたちは停車してくれることにとても驚き、「オーストラリアの人は親切だログイン前の続きね」と感激していた。  

 日本の法律はどうなっているのかを調べてみると、驚いたことに、日本でも信号機のない横断歩道は歩行者優先となっている。道路交通法38条「横断歩道等における歩行者等の優先」では、歩行者や自転車がないことが明らかな場合を除き、横断歩道直前の停止線で停止できる速度で進行しなければならず、横断歩道に歩行者や自転車があるときは、停止線で停止して、その通行を妨げてはいけないと定められている。

 一方、警察庁が2017年3月に公表した 「平成28年における交通事故の発生状況」 によると、人対車の交通事故のうち約30%が横断歩道を横断中に起きている。
 このままの状態だと、海外から多くの人が訪れる東京オリンピックの際、「横断歩道では車は止まってくれる」のを当たり前だと思っている外国人は、すぐに交通事故にあってしまうだろう。実際にわたしの母が初めて来日したとき、横断歩道であやうく命を落としそうになった。

 日本の横断歩道で車と歩行者の行動を観察していると、車優先で、歩行者は車の途切れ目をみはからって横断しているようだ。わたしの日本人の妻も運転中に横断歩道で停車しないひとり。その理由を尋ねると、「日本人は人を待たせることを心苦しく感じる。停車してあげると慌てて渡ろうとして、反対車線の車にひかれてしまうリスクが高まるから、下手に止まらないほうがいい」と話す。車も歩行者もお互いに迷惑のかからないあうんの呼吸をもって横断歩道と付き合っているのだろう。

 しかし、これは外国人には通じない。外国人は「日本人は親切で礼儀正しい」と信じているので、きっと横断歩道でも「必ず停車して、私たちが渡り終わるまで笑顔で見守ってくれるだろう」くらいの期待をもっている。

 そのため、オリンピックイヤーの2020年だけでも歩行者優先のルールを徹底するか、「日本では横断歩道で車はとまりません」と空港に降り立った外国人全員によく周知するか、どちらかにしないと、「日本人は思っていたほど親切じゃない」とがっかりさせるだけでなく、実際に事故にあう外国人も出てしまうだろう。オリンピック成功のためにも、ぜひこの問題に真剣に取り組んでほしい。                                 (Mark Rebuck 名城大学准教授)


西日本新聞 2018. 5. 3 横断歩道での車の停車に関しては、日本の一般人投稿欄でも

西日本新聞 2018. 6.12 新聞記者が下のように非常識であることに驚く
 
何が非常識かといって、日本の交通法規を知らな過ぎること。
前々項にあるとおり、車は止まるべきであるにも拘らず横暴に歩行者を蹴散らして進んでいるのが現状。それを法規を知ってか知らずかびくついている歩行者が滑稽で、警察の取り締まりもだらしなさ過ぎるのが現状である。


※ JAF 調べの「都道府県別横断歩道停車率」が発表されていたので、別ページで表示させてある。
ただしこれは、各県2か所と調査箇所が少なく、サンプリングの質の公平さ等も不詳で、医学で 近頃盛んに使用される“エビデンス”に鑑みると甚だ心もとないものではあるが。

2019年、ローカルルールについて。
ロード・レイジ(路上の激怒)  
 西日本新聞 2017.10.19

前々項“横断歩道で止まらない車”、前項“ロード・レイジ”ともに歩行者対車の事故について(後者はむしろ“煽り”について「ヨリ」)憂慮しているが、 なあにこの問題は近いうちに(といっても、東京五輪まではチョット気が早すぎる)解決する。
“風が吹けば桶屋が儲かる”ではないが、おなじ三段論法でいけば、以下のとおり。
日本で高齢者の占める割合がますます増加する。
横断歩道をはじめ歩行者対車事故が増加する
歩行者優先違反の罰則が厳しくなる
という訳である。
やたら警笛で歩行者を追い立てていた昔に比べ、法令を守らされてしゅんとなっている現在の車を見ればよくわかる。

近頃車事情  
 西日本新聞 2017.8.19
 近頃、スーパーカー以外で気に入ったデザインを見つけたので。左アルファ、右プジョー (シロッコ・ボディキットはこちら
凶器・自転車  
 西日本新聞 2015. 6.25

子供の頃、自転車に乗っていたころといえばまだ車も少なく、車道を我が物顔に両手ばなしで闊歩ならぬ闊走できたものであった。
まだまだこの年になっても自転車には乗れるとは思うものの、とてももう乗る気にはなれない。車道を走れば車に苛められ(気を遣い)、歩道を走れば好き勝手に歩き、時にはよろめく歩行者に遮られ、気持ちよく走るなどほど遠い。
したがって最早まったく乗らなくなっているので、すっかり歩行者の立場の話のしか出来ない。この身からすれば上のコメントまったくそのとおりで、自転車の横暴は眼に余るものがあり、摘発・厳罰の方向へ進まざるを得ないことであろう。
(ただし、挿入された写真、右端マスクの男性は怯えたごとく道路端へ体を寄せて自転車を避けているさまがうかがえるが、自転車軍は列を乱さず整然と進んでいる画であり、混然・混乱の様子が映し出されてなく物足りない)
只自転車もかわいそうなものだ。本来ゆっくり走れば不安定、スピードが出るほどに安定する乗物をストレスをためながらフラフラと乗っていなければならないのだから。

ほたる  
 西日本新聞 2015. 5.29

紙上、一面・ローカル面に同一ショットを使い廻すとは、余程このショットに拘ったか、他に使用に耐えるものがなかったか。 とまれ、これが余程納得の画像だったのだと思いを致そう。

JR ニアミス  
 西日本新聞 2015. 5.23
記事下より3段目にある件の信号機とは写真左に見える信号機ではなく、下り19号がすでに通過した地点にある信号機と思える。
TV画面では、この信号機には1両目が3・4メートルほど掛かってるようにみえた。
これでは運転手が確認することは出来ない、そのまま発車してしまう。停車位置の報告ミスが生んだ事故に違いないが。

アユ漁解禁  
 西日本新聞 2015. 5.21

アムトラック脱線事故  
 西日本新聞 2015. 5.14
列車は写真右方向へ進行中で、左上に見えるレールが正規の走行路盤らしく、牽引のディーゼル機関車は写真右外へフッ飛んで見えない。
JR西日本・福知山線脱線事故と符合という指摘もあるように、スピードの出し過ぎが原因らしいが、実スピードと制限速度の差はこちらのほうが遥かに大きく、衝突物の無かったことが死者数の減少をもたらしたということか。
福知山線同様こちらもATCは未設置であったそうだ。

親の責任範囲  
 西日本新聞 2015. 4.10
 週刊文春 2015. 4.23

子供が蹴って道路に飛び出したサッカーボールを避けようとして転倒、結果的に死亡した二輪の80歳超男性側が、子供・親を被告とした訴訟の最高裁判決についての記事・論説である。
親の責任範囲を当然のこととしない判決を歓迎する一方、被害者側の救済という点での物足りなさを感じさせる論調である。
思うに、この裁判において原告側が、以前の判例により当然親の責任が問われると信じた被害者側が(裁判が長引くのを憂慮して)学校側を被告に加えなかったのが、むしろ不思議に思われる(一事不再審とか裁判上の詳しいことは不知ながら)。
考えるに、この子供は設置されているサッカーゴールに向かって球を蹴っただけで、一分の過失も無い。この行為に対する親の監督責任にもなんら非となるところもない。親に責任が及ぶことはこれまた一分も無い。
上に学校のことを書いたが、どこに責任かといえば、このような危険な施設を野放しにした学校側が非を問われないのはどうしてなのか?監督責任として放課後の児童の行動に対して言っているのではない、施設の存在に対しての疑問である。 サッカーゴールの裏側が校門であったとか、常識で考えても設置位置関係が無茶である。入ってくる人に向かって球を蹴らせる非常識。
もう一つ、児童の監督責任について、この中には明らかにされていないが、事件当時、この学校のグラウンドは某サークル(野球だったと記憶するが)に貸し出し中であったという(したがって、学校側に監督責任は無いことになる)。
加害児童がこのサークルの子であったのか否かが不明であるが、責任者が子供の行為について注意をはらう義務は無かったのかという疑問もある。少六の子供でさえオーバーフェンス可能なこの施設を“大人”が見れば危険な状況を察知できたのではないかということである(ここで危険性を察知できるのなら、そんな状況を放っておいた学校側は何をやっていたかということにもなる)。
サッカーゴール・校門間の距離など情報不足で云々できないが、結果から推測する限りでは学校施設の欠陥としかいいようがなく思える。
この事件につき蛇足ではあるが、個人差はありながら、80歳を超えて二輪に乗るのはやはり些か無謀の謗りをまぬかれないと思う。


 元に戻す


 元に戻す


 元に戻す
 こうしてみると後輪の貧弱さ(径の小ささ)が気になるか。

− 荒牧 千e Aramaki Kazuhide −
http://www.toakes.co.jp/ http://www.toakes.co.jp/q/ http://www.qucc.org/ http://www.i-froufrou.com/
WWW を検索   トークス設計事務所を検索

java script