はじめに −−−

ええー満場割れんばかりの拍手ありがとうございます。もう本当に出てきたとたんにこのお客さんの拍手で迎えられるとぞくぞくっとしてまいりますけれどもしかしなんですねえ、
ええ このインターネットというお遊び場所の多いところをわざわざこのURLまで足を運んで、WEB版アミーを見ようなんてお客さんはもうねえ真のアミーファンではないかなんて大変ですよ部室でみんな意見を戦わしてもう、ええ胸倉つかみ合ってああでもないこうでもない、どっかほかに見るとこないのかしら(そ)んなこと言ってる奴もいました、ええけしからん話で・・・

という、“与太郎の志ん五” のマクラに迎えられるように、“WEB版・アミー”へお越しいただいた皆様方、大変ありがとうございます。


 WEB版Ami によせて−−−

“アミー”創刊はいつだったんだろうと思い返してみる。
私が卒業を前にして、学業は言わずもがな自動車部においてもやることが無くなり、部誌でもという気持ちで思い立ったんだったろうか。

誌名を考え、表紙デザイン(デザインというほどのレベルじゃなかったが)を含めページレイアウトその他一切を一人でやったような記憶がある。

PCはおろか、ワープロさえ一般化してなかった当時(1961・2年だったに違いない)、文字は?と考えると、タイプライター印字だったとしか思えないが、記憶は定かでない。

この創刊号は私自身確かにしばらくは保管していたものの、数少ない転居時の整理の悪さから現在は行方知れず、この機会にも一度陽の目を見させようかとは思ったが、不整理品をひっくり返してみようというほどの気概もなく、今のところWEB上で紹介することができない。

因みに、誌名の“アミ”は、当時のシトロエン・新車種 シトロエン・アミから採ったものであり、女性名詞のAMIEを意図し、「ー(長音)」も付した積りはなかったのに現在の形(AMIでアミー)となっているのは、私にとっても謎のままである。

1号の造本は、これも死語となった青焼きの代物で、実のところ私の思惑では創刊準備号(preparative issue)として発行したかった、辻褄合わせのやっつけ仕事に近かったこの号を“創刊号”とするには恥ずかしく、また、当時、(集英社のセブンティーンじゃなく)本家の Seventeen 誌をクリスマスだかにどこそこかのカレッジが編集を担当する、“college issue”なる号が毎年発刊され、その“issue”なる語に惹かれてぜひ“preparative issue”にと考えたもんだった。

ところが次年、64年卒部員の手により、立派に体裁を整え創刊号とは一線を隔す仕上がりとなって発刊された“アミー”にははっきりと第2号と標してあり、かくしてこの創刊準備号は私の思惑を外れ“創刊号”として残ることになり、以後号を重ね、時代の流れと共に今回WEB版の発行と歩を進めてきた。

記念すべきこの号の出来栄えはどうなんだろう?とアップが待たれるが、以後増殖・進化を遂げて行かんことを楽しみに電脳担当者以下現役部員の仕事に期待する次第である。


OB会・会長 荒牧 啓介