もう誰も驚かなくなった?記録更新 西日本新聞 2014. 9.29 | |||
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アジア大会・派遣選手発表 | ||
日本陸上競技連盟 2014. 1.31 | ||
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ますます世界は遠くなりにけり | ||
西日本新聞 2013. 9.30 | ||
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VIVA ケニア・エチオピア | |||
西日本新聞 2012. 4.16 | 西日本新聞 2012. 4.23 | ||
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再建? | ||
西日本新聞 2012. 3.14・15 | ||
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順当 順当 順当!! | |
西日本新聞 2012. 3. 5 | |
このように、どこかのサイト・タイトルどおりの結果で決着したロンドン五輪男子マラソン代表選手選考。 千葉すず(マラソンじゃないが)・松野明美など選ばれる側からの選考に対する抗議はもとより、民間からの異議・批判も少ないかわり、本番での活躍に対する期待感も、前回世界選手権同様、もっとも薄い選考ではなかったか。 現在、世界歴代10傑はケニア7人、エチオピア4人(5・10位同記録)とすべてアフリカ勢に占められている。 しかも、2010年以降にそれらの記録を残しているランナーが7人いる。 それに対し日本では、歴代6位まではすべて過去の選手(4位・佐藤敦之の過去人扱いには異論があっても、もはや7分台の走力が残っていると思う者はいないだろう)であって、7位・7分48秒の藤原新が現役最高位である。 これを世界と較べると、世界10位・4分55秒とは3分弱ものの差がある。 |
五輪の本番では、ケニア・エチオピア各3人の内、それぞれで偶々当日調子の悪い選手が1人ずつ出たと仮定しても、4人は日本人の前を行くことになり当然メダルは望むべくもない。 sportsnavi には、 −今の日本は選手層において「誰が出てもメダル争い、入賞争いができる」状態にない。− −日本マラソン界の復活には駅伝偏重の意識。選手、強化側、我々国民。みんな変わらないといけないんじゃないか?− とあるが、人種の力の差である以上、強化・意識等の改革でどうこうなるものではない、というのが厳然たる事実であろう。 ただここで、世界と日本の差を100メートル走とマラソンで比較してみると、甚だ低いレベルでありながら、まだマラソンのほうが肉薄しているのも事実である。 つまり、100メートル走においてボルトの記録・9.58秒は伊東浩司・10.00秒の95.8%、マラソンでは、マカウ・7418秒は、高岡寿成・7576秒の97.9%となる。 このように数字を出してみると、マラソンのほうが |
約2%世界に近いといえ、それだけ強化・意識の高さが人種による身体能力の差をカバーしているともいえるのではないか。 ここで、sportsnavi で言う“国民の意識”について考えると、日本人のマラソン・駅伝好き国民性は、伊東浩司より高岡寿成の知名度が高いということからも明らかなように、マラソンに対する想い入れは大きい。 世界と互角に戦ったという意味では、100メートル走は1930年代の“暁の超特急”吉岡隆徳まで遡らねばならず、一方マラソンは日本新が絶えて久しいがそれでも高岡はまだ10年の昔、この、栄光の幻を追い続ける(諦めきれない)想いの差が“国民の意識”に表れているといったところだろうか。 こう言っていて、アテネ五輪の野口のような大番狂わせが起こるとしばらくは 発言の“蟄居”を余儀なくされる羽目に陥るが、今回のメンバーでは女子も含めてそのような“危惧”は余計であろう。 |
痛し痒し? 陸連 | |||
西日本新聞 2012. 3. 5 | |||
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ギリギリの辻褄合わせ | |||
西日本新聞 2012. 2.27 | 西日本新聞 2012. 2.28(夕) | ||
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日本のマラソン強化策は無駄 たとえば、100m走でボルトに勝てる日本人が出てくると思うものはいないだろう。 もしボルトがいなくても五輪、世界選手権で日本人の勝利を信じるものもまたいない。 それは日本人より黒人選手が圧倒的に早いことを知っているからである。では、マラソンではどうであろうか。 種々書かれている強化策が功を奏して再び日本人が世界のトップに立てる日が来ると本気で思っているものがいるのか。おそらく陸連その他専門家であればその可能性を信じるものは皆無に近いのではなかろうか。 テニス、ゴルフと、同じフィールドに立つことを許された黒人に席巻されつつある現状を見るとよく分かる(水泳が唯一といっていい、人種差別による非黒人種の聖域か)。 |
なぜ昔のマラソンでは強かったのか このように、優れた身体能力を持つ黒人に対し、かって日本人が勝利しえたのはどうしてなのか。 一つには本当に優れた黒人ランナーがマラソンを走っていなかったからであり、も一つは能力がありながら近代的トレーニングを行っていなかったがために、 それらで先行した日本人の後塵を拝していただけのことである。 北京五輪マラソンで勝ったワンジルは、仙台育英高・九州トヨタで育ち、詳しいことを知る身ではないが、昨夏の世界陸上1万m勝者のジェイランも日本のホンダに所属していての快挙であるからあながち日本の強化策が遅れをとっているとは思えない(確かにワンジルは勝利後、日本の駅伝偏重を批判してはいたが)。 |
短距離もマラソンも格差は一緒 身体能力の高いものが低いものと同じトレーニングを行えば勝利は自明の理である。 100m走においても1930年代には世界に伍して戦える選手・吉岡隆徳がいたわけであり、そこまで遡ると 100m走においても「勝手の栄光は?」ということになる。 ただ、マラソンと 100m走における世界との差は、2%とわずかながらマラソンのほうが小さい。 これは人種毎の身体能力において、長短距離適性において特異性が残っているのか(動物種の格差、チーターは始動から3秒でトップスピードになるが、60mでそのスピードは極端に落ちる、といった差が人類種間にあるとは思えない)、単に競技の歴史の長さの問題なのかは分からない。 |
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日本の低迷 | ||
西日本新聞 2011.12. 6(夕) | ||
高岡の日本記録以来の10年間の停滞・低迷に比して、世界記録が4度更新されたとあるが、この文章にはギミックがある。 現在の世界10傑をみるに、記録はすべて2003年以降、つまり高岡の日本記録以後に記録されている。 しかも、10位の記録は 2.04.55 で、高岡の記録 2.06.16 より遥かに上であることから、この 10 年間に高岡の記録を上回るタイムが10位以下としてもかなり樹立されているだろうことは容易に察しがつく(世界記録は4度ほどしか更新されなかったかもしれないが)。 ここに記載されている文章になんの予備知識もなく接した読者は、日本人の停滞に対する世界の動きを過小評価してしまいかねない。 意図した筆致であるのかもしれないが、身びいき過ぎ生温い記述である。 |
フランクフルトマラソンでは歴代2位記録 | 福岡国際では瀬古にも負けるタイム | |
asahi.com(朝日新聞) | 西日本新聞 2011.12. 6(夕) | |
↑ フランクフルトを2時間3分42秒で走った、ウイルソン・キプサング(ケニア) 日本が世界の高速化について行けないのはもう何度も見せつけられているが、実力者の揃わなかった福岡国際では笑えるほどの力の差を突きつけられたと言える。 右で「カモちゃん」とやらは暢気に勝負の観戦を楽しんでいるようだが、日本陸連(というのか?)の当事者連はもうお手上げ状態だろう。 川内は、公務員ゆえに練習量も少なく、特にフルマラソンの距離を走ることも稀だそうなので、自身も言っているとおり、試合が練習の一環ということで、使い減りしていない身体だから短いスパンでレースがやれるのはある意味当たり前のことだろう。 |
西日本新聞 2011. 9.26ベルリンマラソンで世界記録 |
西日本新聞 2011. 9.26(夕) |
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− 荒牧 千e Aramaki Kazuhide − |
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